肉食肯定意見について | ひふみ塾 世回りブログ

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子ども達の未来のために食や医療などの真実や嘘を暴いて行こうと思います!

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当ブログにおいては肉食の問題については何度も取り上げてきたし、これからも何度も取り上げて行こうと思っている。

健康面の問題はもちろんの事、環境問題、飢餓問題、生産方法の問題、道徳的問題、様々な問題が重なっている。

今現実に起きている社会問題(経済崩壊、利権構造、戦争、差別やいじめ、病気の増加、異常気象、などなど)は深刻な状況となっており、そのような問題は肉食というものに起因しているとも言えるからです。

矛盾や嘘、誤った認識や心無い価値観の上に作り上げられた現代社会は、当然大きな歪や腐敗を生み、幸せの道とは程遠い社会となってしまうのは当然で、今それが限界を迎えている。

それを表している肉食というモノにどれだけ矛盾や精神性を失っているか考えたい。


少し前になるが、NHKで畜産業を営む生産者を取材する番組があった。
その生産者は「とても愛情をかけ育てている、身内のように大切に育てている」という。

それを聞いたレポーターが「・・・。そのような家畜たちを殺して売るのですか?」至極全うな意見に思う。

それを聞いた生産者は目を見開き、鬼の形相に変わり、「やりたくてやってるわけじゃない!帰れ!」のような事を言っていた。



また、これも少し前の話になるが、愚楽牧場が、民事再生法を申請しました。
負債総額は4,330億円で、バイオ企業の林原(岡山市)の1322億円をはるかに上回る、最大規模の倒産となりました。

黒毛和牛が、あたかも人間と同様の扱いで“出演”し、「いま、好きな人とか、いる?」と女の子に聞かれたりしていましたが、いずれ惨殺し、解体し、肉片にする予定の牛を、あたかも友人か家族のように描くというのは、どう考えても矛盾しており、理解できない。

もちろん、畜産農家さんたちには生活もあり、家族もいる。それを悪の権化のように批難するつもりはない。

しかし、このように矛盾も矛盾、大矛盾を正当化し、矛盾を突かれると一変し、被害者であるかのように憤慨する。

だったら堂々と牛を命の通わないモノのように扱い、あげくには殺し、バラバラに解体しているシーンを正直に流せばいい。



それをこのように取り繕うのは絶対に許せないし、これがお金の為にしょうがないという現代の経済至上主義を象徴している。

ワクチンや化学物質だらけの食品もそうだが、人の命や健康の事などお構いなしに儲ける事が全てという事がまかり通っている。

もう一つ誤った常識を。

肉食動物が草食動物を食べるように、人間も自然界の一員なのだから、肉を食べたところで、非難されるいわれはないとよく言われる。

しかしこれは「弱肉強食」と言った誤った価値観や「食物連鎖」などと言った間違った常識を信じ込んでいる。

食物連鎖の様子をピラミッドとして表現し、頂上にいる生物と底辺にいる生物を種類分けする考え方がありますが、これは極めて奇妙で理不尽な発想です。

通常、食う・食われるの関係で結ばれる食物連鎖では、植物と草食動物の関係をのぞけば、食う側の方が食われる側よりも多い。その為連鎖において、一般に、下位のものほど個体が小さく、その個体数が多い傾向があり、連鎖の順に個体数を棒グラフ表示すれば、上にゆくほど小さくなり、ピラミッド型になる。これを生態ピラミッドという。

しかし実際には人間以外の肉食動物よりも人間の方が多いし、草食動物のゾウだけ見ても個体数は人間より明らかに少ない。乱獲した数を含めても。

しかし誰しもが食物連鎖の頂点にいるのは人間だという。
この矛盾だけみても食物連鎖は誤りだとせざるを得ない。

さらに、現実には複数種の餌を食べる動物は珍しくなく、また、複数種に食われることも当然あり得るので、それらを考慮に入れて図を描けば、食う食われるの関係の入り乱れた複雑な網目が描ける。これを「食物網」という。こうした食物網を調べてみると、生態ピラミッドと異なり、連鎖の段階は錯綜し、段階数も非常に数が多くなることが判明してきている。そのため、現在の群集生態学では食物連鎖は歴史的術語となりつつあり、食物網としての概念の方が現実的なものとして重視されてきている。

簡単に言えば、食物連鎖などというのは全くの誤った考えであり、生命環境はもっと複雑で、調和的なのだ。

これを考えても分かるように、肉食をする事が自然界の掟のように美化するのはバカげている。

そして考えなくてはならないのは、このように誤った認識や価値観が常識化すると、肉食という精神性の喪失が正当化されてしまう。



だから僕達は誤った常識から立ち戻り、正しい情報を知る事が大切だと思うのです。