天皇家と神道の関わり | ひふみ塾 世回りブログ

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日本国の象徴である天皇陛下。そしてその血統の一族を皇族というのは、日本人ならば誰でも知っている事です。

そのお姿を一目みようと、皇族の人が近くにくるともなれば、国旗を片手に奉迎に出向いた人もたくさんいることでしょう。皇族の人々は「人にして人にあらず」という表現をされます。


天皇家の始祖は天照大神です。つまり、遡れば先祖は神様というわけです。その血統を守り、脈々と受け継いできた皇族の人々は、人ととして生まれながら、神さまにもっとも近い存在なのです。ですから、伊勢神宮では皇族しか通れない参道が設けられていたり、天皇陛下しか近づくことのできない神域などもあるわけです。(一部神職は除きます)


そもそも、天皇の血統と始まりは、日本神話の時代にまで遡ります。高天原を統治している天照大神は、中津葦原国も自身の血統の者である天津神(天上の神さま)が統治するべきではないかと考えます。その時にいろいろあったのですが、地上へ降り立ち、国を統治する役割を与えられたのが、天照大神の孫にあたるニニギノミコトです。

ニニギノミコトはサルタヒコノオオカミとサルメノミコトに導かれながら、大勢の家臣を引き連れて地上に降り立ちます。これを《天孫降臨》といいます。

やがてニニギノミコトは、国津神(地上の神さま)である山の神の娘・コノハナサクヤヒメに一目惚れ。結婚を申し込みます。コノハナサクヤヒメは父神に相談の末、これを受けます。天津神と国津神の初めての婚姻です。実はこの際、山の神はニニギノミコトに精一杯の贈り物といろいろ持たせます。しかし何故か、コノハナサクヤヒメの姉君であるイワナガヒメも一緒に嫁がせました。しかし、ニニギノミコトは醜い姉姫は父神のもとへ返し、美しい妹姫だけを妻として迎えました。この行為により、その後ニニギノミコトの子孫は桜のように儚い命となったのです。

なぜなら、醜い磐長姫は丈夫な健康長寿の女神で、美しい木花咲揶姫は儚い春の女神だったからです。山の神曰く、もしもこの時にニニギミコトが姉も一緒に妻に迎えたなら、子孫は不老不死であったのだとか。いろいろある中で、子が誕生します。その中でニニギノミコトの跡継ぎとなったのがヒコホホデリノミコトです。海幸彦・山幸彦のうちの山幸彦のほうです。山幸彦は兄との争いの時に助けてくれた海の神の娘・トヨタマヒメと結婚。ふたりの間にウガヤフキアエズノミコトが誕生します。

ウガヤフキアエズノミコトはおばのタマヨリヒメと結婚し、4人の子供に恵まれます。そして四男であるカムヤマトイワレヒコノミコトが「東の方に良い都があると聞く」と、そここそが国の中心だと考えてそこを治めることを決めます。兄弟とともに旅立ち、大和のナガスネヒコとの長い戦いを制し、遂に橿原の地に宮を建立し、即位します。


この人物こそが初代天皇・神武天皇です。ちなみに建国記念日には、日本全国の神社で《紀元祭》という祭祀が執り行われます。


こうして神武天皇より天皇制度が始まりました。さまざまな権力の歴史の末、今の天皇家・皇族があります。第二次世界大戦後は、天皇は国と平和の象徴として存在します。皇居の中にも祈りを捧げるための神殿があり、時の天皇は祭事の度、ここでただただ、国と国民のためにここで祈りを捧げるのです。

このように、天皇家と神社は密接な関係にあり、伊勢神宮など、皇族と関わりの深い神社の大きな祭などには、宮内庁から勅使が遣わされます。


私たちは日本人として日本に生まれ、日本ついて知らねばならないことが沢山あるのです。



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