自粛…自粛のこの世の中
天に向かって唾を吐けば、空を汚すことなど出来ず、自分に返るだけ。
自分にした事が自分に返ってくるのは天の理(ことわり)だろう。
私はもう9年近く、魚以外の動物は食べていない。
肉食について調べれば調べるほど、必要な理由がなくなり、生命倫理的に食べられなくなった。(それまでは肉しか食べなかった)
肉食の話になると、「じゃあ魚や野菜は良いのか!」とか、「栄養学的に必要だ!」とか、なんとか自分を肯定しようと必死な反論が多く、感情論にはまともな話は出来ない事を知った。
ここで肉食の賛否を話したいわけではない。
今回のコロナによる自粛に対し、不安やストレスによって、誰かのせいにしたい人たちが、これだけ多いのかと気づかされた。
しかし私たちニンゲンが、罪のない動物達に、必要もなく『自粛』を強制し、命を奪っている事はお忘れだろうか?
こういう話をすると、「感謝して食べましょう」とか始まったりするけど、私は自分の子どもが「あなたの子ども、感謝して食べるから頂きますね」と言われて「わかりました」と言える広い心は持ち合わせていない。
そして肉食が大好きな人たちばかりだ。
その人たちに、批判や非難の気持ちなど一切ない。
だが同時に、我々ニンゲンは、他の生命や環境に対して、どれだけ残酷な事を正当化しているのか、忘れてはいけないとも思っている。
動物園や水族館で、「自粛」を見世物にして経済活動を楽しむニンゲン。
畜産で地獄のような「自粛」を強いて、不必要な欲を満たすニンゲン。
土地を奪い合い、自然界を我が物顔で侵略し、動物たちの住処を「自粛」させ続けるニンゲン。
自分たちがちょっと不便になったら、誰かのせいだと大騒ぎするニンゲン。
批判や不安とは、自分の中のコミュニケーション力が低い証拠であり、自分と言う視点しかない現れなのだ。(反日主義者を除く)
視点の数が増えると、心も人間関係も、温かいものになってくる。
逆に視点の数が低ければ低いほど、人は孤独になり、不安を大きくし、人を批判し続けてしまう。
「コロナ自粛は政府のセイダー」
と捉える事も自由だが、
「コロナ自粛はニンゲンの営みを見直すきっかけ」
と未来志向に捉える事も出来る。
新時代に向けて、様々な局難が降りかかってくると言われ、その対応に一人一人が試されているとも言われている。
日月神示と言う書物には、
「神と獣の分かれ道の大峠」
とあるが、どう乗り切るかは、意識のあり方によるのだろうと思っている。
少なくとも、お金が命より重いと言う現代社会が、そのあり方から脱却したいと願っている。