神さまという存在についてですが、外国と日本では考え方が大きく違います。
一神教(キリスト教やイスラム教など)での「神」は唯一絶対であり、他には神さまはいません。
ここでの「神」とは創造主であり、人間を含めこの世のすべてのものは神が創った「被創造物」であるという考えがあります。神と人間。善と悪。このように二つに分かれています。
これに対し、日本人にとっての神さまは、「八百万(やおよろず)」といい、昔からすべてのものに神さまが宿り、数え切れないほどの神さまがいると信じられてきました。
日本の神道では、「私たちはみな、神の分け御霊を持つ」とされています。
だから、身魂を磨くと「神」になれる(近づける)という考えがあり、「魂を磨けばもともと自分たちが持っている神性な部分が現れる」ということのようです。
日本人のいいところは、みんながつながって生きているということを自然に感じることができるところだと思います。
そしてそれは、「自分だけが良ければいい」という、自分を他者と引き離した考えではなく、すべてがつながり合った一つの命を生きているという考えにつながっていくような気がします。
日月神示の中では、「悪を抱き参らせろ」という考えがあり、悪もよくなるためには必要であるという考えがあります。
善と悪を分け、悪はいけないという考えではなく、すべてを受け入れてよい方へ成長していくという気持ちがあるように思います。これも良い考えだと思います。
日月神示を降ろした神さまは、国常立尊(くにとこたちのみこと)を筆頭とする神々の「神霊団」による啓示とみられています。
神道には、「明・浄・正・直」の四つの心のあり方が一つの指針となっています。
これについて、中矢伸一著 『日月神示 宇宙縄文神とのまじわり』(ヒカルランド刊)には、次のように書かれてあります。
「明」はいつも明るく晴れやかな心、
「浄」は、清らかで濁り穢れのない心、
「正」は、裏表のない光明正大な心、
「直」はまっすぐで偏ることのない素直な心のことである。
これら四つは、日本では古来大切なものとされてきた「まことの心」の具体的表現といえる。
「明・浄・正・直」は十分に発揮されれば、その魂の神的属性は光り輝くこととなるわけである。
神道においては太陽のように「明るく晴れやかであること」とともに、「清らかであること」が重要なのである。
この「明るく晴れやかで、清らかな心」という言葉を聞いて、私が思い出すのは、子どもの心です。
御魂を磨いて子どものようにキラキラした心にまた戻っていくということでしょうか。
そして、子どものような清らかな心と、大人の行動力と、強い心があれば、何事もよい方へ向かう気がします。
また、日月神示には、
「食い物大切に、家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、初めの行ざぞ」(「天の巻」第十二帖)
と示されています。
とても基本的なことですが、これがキチンと自分の生活の中でできている人は、どれほどいるでしょうか。
この「カイ」という言葉は、「手近なものから始めなさい」という意味があるそうです。
自分もそうですが、基本的なことをちゃんとやるということをまずは心がけていきたいと思います。
自分の普段の生活の中で、身の回りを清浄に保つこと。
そして自分の心も清浄に保つこと。
いきなり大きなことをしようとしても出来るわけがありません。気持ちばかりが高ぶり何も出来ないことに気付き挫折する若者が多いです…
自分が今出来る身近な基本的なことから身魂磨きを始めてみてはいかがでしょうか?
一つ一つの小さな実践の積み重ねがやがて大輪の華となるでしょう!
実践あるのみ!身魂を磨きましょう!
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