昭和天皇は防空壕で暮らしていた | ひふみ塾 世回りブログ

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1945年5月、米軍の完全に国際法違反の非人道的爆撃により、東京は焼け野原となり多くの一般市民が犠牲となった。

皇居も明治宮殿他27棟が全焼。

陛下は「そっか焼けたか。これでやっと皆と同じになった」とつぶやいたそうです。

住まいを失った陛下は防空壕で暮らす様になった。

陛下が暮らしていた防空壕は地下深く掘られた御文庫付属室。水が染み出しポタポタ落ちる。スーツを吊るして置くと、一両日で絞れる程の水を含む酷い湿気だったと言います。

侍従の者が「こんな場所に住まわせては置けない」と御所の新造を提言するも「世の中には住む家の無い人も居るのに、私はこれだけの物が有るのだから」とアッサリと却下。

戦後の混乱期を乗り越え、世はミッチーブーム。

昭和34年、日本国民は皇太子殿下、美智子妃殿下の御成婚を華やかに祝う。

その時ですら、昭和天皇、香淳皇后は防空壕で暮らして居た。

それからさらに2年、終戦から16年経過して、やっと新たに建てられた「吹上御所」に移られた。

「こんな良い家に住める様になったのも、皆んな国民のお陰だ」とおっしゃられた。


陛下は、還暦を迎える歳になっていた。

私は、この「昭和天皇と防空壕」の話しを知った時、涙が溢れた。

外国の元首は「国民が苦労をしていても自らは豊かさと威厳を持った暮らし」が当たり前。

日本だけです。

国民と共に苦労をする元首は。

日本人に生まれて良かった。

天皇陛下は日本の誇りです。


世界の国々を見てみれば、たくさんの王朝や権力・統治者たちは消えては表れを繰り返してきました。

そのほとんどは武力や暴力によるもので、倒された側は、一族郎党皆殺しにされた例も少なくありません。

その大きな要因には、支配と使役という関係がその国の在り方だったのです。
国民は統治者の支配下という国の在り方だったのです。
国王や皇帝は自分の権力を求め、国を支配し、国民から搾取する。

それゆえ恨みを抱いたものが政権を奪い、新たな王朝を立てるということを繰り返してきました。

しかし、世界で唯一日本の天皇だけは、国民を「おおみたから(大御宝)」として来ました。

建国の理想のもとに天皇陛下が国民をわが子のようにいつくしみ、国民に思いやりを持ってまつりごとを行ってきました。

国民はこうした天皇陛下の御心(みこころ)に応え、天皇陛下を我が親のようにしたい、天皇陛下を中心として国民が家族のように結び合って生活してきました。

だからこそ神話の時代から今日まで一系の皇室が125代も続いているのです。

このように我が国では家庭にあっては親は子供を愛情を持って育て、子どもは親が年を取って弱っても大切にする。
夫婦は男女の特長を認め合い欠点を補い合って和を心がける。

また祖先を大切に祀り、子孫の幸福や繁栄を願う。
このような家庭が寄り集まって一つの国をなしてきたのです。

そして社会にあっては人々が助け合い共存共栄を心がけてきました。
それは全て、天皇という存在を心から敬い、天皇はまた国民と共にあると想い続けてきてくれたからなのです。


先の話のように、国の統治者が、国民の生活の苦労を偲び、自らがそれを共有する事など、世界で日本の天皇だけなのです。