日本の食文化の歴史 | ひふみ塾 世回りブログ

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子ども達の未来のために食や医療などの真実や嘘を暴いて行こうと思います!

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日本の食文化はどの時代でも船によってもたらされ、それを吸収して独自の食文化と変わっていきました。

 いまの私たちの食文化の由来と変容をのべてみます。


1、縄文時代

狩猟・漁猟が中心で農耕はまだ発達していなかった。


2、弥生時代

稲作の技術の導入→一定の土地に定着して食の安定をもたらす 稲作農耕に はげむようになった。それにより、地方ごとに稲作中心の祭文化や食文化が育ち始めました。稲作文化と共に誕生したのが箸を使う習慣です。それ以前は手食でした。


3、奈良時代

食事は朝菜、夕菜のことばがあるように一日二回。精進料理→仏教の「美食を戒めて粗食とする」の教えを追求。消化がよく健康食、大豆などの加工技術が発達。(味噌・醤油・漬物・豆腐)茶の導入→当初、茶は薬用として珍重されていました。酒→質のよい清酒ができた。


4、平安時代

生活が豊かになった平安の貴族文化は、唐文化を土台にして京の都 の四季の美しさと雅の心を取りれて、唐文化とは異なった平安独自の和風文化が育ち始めました。食も膳 の中に四季感を取り入れて視覚に訴え和風文化が育っていきました。本膳料理や、刺身などが食に見られるようのなったのもこのころで、食事も二食から三食になりました。


5、鎌倉時代

梅干と玄米が武士を支える食となりました。


6、平安時代

南蛮船によっていろいろな野菜が持ち込まれました。(さつまいも、じゃがいも、はくさい、キャベツ、トマト、にんじん、かぼちゃなど)


7、江戸時代

普茶料理→禅僧が茶礼に赴くときにその茶礼の後にいただくりょうり。茶懐石→千利休が考案者。禅と茶の湯をむすびつけました。一汁三菜に強肴を基本とし、酒も楽しんで最後に抹茶をいただくもの。外食産業→量り売り、屋台、居酒屋、料理屋、そばや、茶屋などが登場しました。


8、明治時代

古くから抑圧されてきた肉食の解放。長い間タブーだった牛肉が食事の中心となっていきました。また洋食文化もこのころから次第に広まっていきました。


9、昭和時代

太平洋戦争→飢えとの戦い米不足を補うために家庭菜園が奨励され、ありとあらゆるところが、かぼちゃ畑に変わっていった。高度経済成長→飢えるということはなくなり飽食・高カロリー・低たんぱく質により成人病などが急激に増加してきています。



10、平成時代

離乳食が終わると同時に遺伝子組み換え、添加物まみれのお菓子、マック、山崎パン、コンビニ弁当などの防腐剤、着色料たっぷりの毒を食わされ、幼稚園、学校で百害あって一利無しの牛乳という牛のおっぱいを飲まされる。
ファミレスや激安牛丼店が町を埋めつくし安さに釣られ手軽に毒外食に行けるようになる。
食品偽装問題がニュースで話題になるが大して気にしない。
1日3食しっかり食べて内臓は休む暇なく慢性疲労に襲われる。
冷蔵庫をあければ砂糖たっぷりのジュースがいつもストックされている。
砂糖が悪いことに気づきノンシュガーやカロリーゼロのうたい文句に騙され、人工甘味料、アスパルテーム、セルロースなどの神経毒を飲まされる。
『日本のスーパーに売ってる物は安全だ』と何の疑い、疑問も持たずに毒を食す。
毒だらけの食ということにも気づかずに・・・
アトピー、アレルギー、花粉症、ガン、糖尿病、心筋梗塞、うつ病等などの病名や病気が増え続け膨大な医療費問題が勃発する。
が、未だに何も知らない、調べない、疑問を持たないアホ愚民ばかりであふれかえる♪