今上天皇の誕生日になぜA級戦犯が処刑されたのか? | ひふみ塾 世回りブログ

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昭和23年4月29日にA級戦犯28人が起訴され
昭和23年12月23日零時1分30秒、死刑執行開始……


昭和天皇の誕生日にA級戦犯28人が起訴され
明仁皇太子殿下の誕生日に、なぜA級戦犯7人は処刑されたのか?


子爵夫人による「ジミーの誕生日の件、心配です」とは何か


構想20年、猪瀬直樹氏による渾身の書き下ろし。謎めいた一文「ジミーの誕生日の件、心配です」と記された日記から、マッカーサーが天皇明仁に仕掛けた「死の暗号」を読み解いていく

「祖母の日記」に書かれた一文が気になる。

昭和23年12月7日の日付で止まっているその日記は、
「ジミーの誕生日の件、心配です」という文章で終わっている。

祖母は美貌と奔放さで社交界に知られた子爵夫人。送り主の女性の父親は、皇太子殿下のご学友だった。

じつは、ジミーとは皇太子殿下のことである。

ジミーという呼び名は、連合国軍による日本占領後、学習院に赴任したアメリカ人の英語教師エリザベス・バイニング夫人が、英語の授業をはじめるにあたり同級生の全員にニックネームをつけたとき、皇太子に「あなたはジミー」と言ったからだ。

「バイニング夫人が英語教師として赴任した際、皇太子明仁は学習院中等科の1年生、まだ12歳だった。日本語の太郎、次郎と同じで、アルファベット順にアダム、ビリー……、とニックネームをつけた。
『今日からジミー』と呼ばれた皇太子明仁は『ノー、アイアム・クラウンプリンス』と即座に答えた。

バイニング夫人は『そうです。あなたはプリンス・アキヒトです』と、同意して言った。

どんな反応をするかと注視しながら、決然と強い調子でつづけた。

同級生も、固唾をのんだ。

『それがあなたのほんとうの名前です。けれどもこのクラスでは英語の名前がつくことになっているのです。このクラスではあなたの名前はジミーです』と言い切り、皇太子明仁は照れながら微笑んだ。生徒たちも一瞬にしてほぐれた」
(『ジミーの誕生日』より)



◇A級戦犯の処刑が皇太子明仁の誕生日の真夜中に行われたのはなぜか

ジミーの誕生日は、A級戦犯が処刑された日だ。

皇太子殿下の15回目の誕生日である昭和23年12月23日、真夜中の巣鴨プリズンで、7人の男たちが絞首刑を執行された。

7人とは、
東條英機(大将、元首相)
土肥原賢二(大将)
松井石根(大将)
武藤章(中将)
板垣征四郎(大将)
広田弘毅(元首相)
木村兵太郎(大将)
である。

まず、東條、土肥原、武藤、松井の4人が零時1分30秒に処刑された。

残る3人も、零時20分に死刑執行された。

「時計の針は午後11時59分を指している。13階段の前に立った。日付が変わった。昭和23年12月23日午前零時、絞首台に昇る階段のいちばん下で手錠がはずされ、直立不動の姿勢で腕を脇につけたかたちで幅の広い革紐で縛られた。階段を昇って壇の上にあがった。4つの落とし戸の上にそれぞれが位置取りをしたところで、ひとりひとりの氏名の再確認が行われた。立会人は彼らを正面から見つめ、視線をそらしてはならない。それが仕事である。
零時1分。黒い頭巾が頭にかぶせられると足首が革紐で縛られ、首に縄がかけられた。死刑執行官が、死刑執行の準備完了、と報告した。あとは号令をかけるだけだ。
零時1分30秒。始め! 執行責任者の憲兵司令官が叫んだ。(略)
絞首刑の時刻が気になる。ストップウォッチを手に、タイムテーブルにのっとってなぜこれほど正確に、すなわち12月23日零時1分30秒に執行されねばならなかったのだろうか。念入りに予行演習をしなければできない作業である」
(『ジミーの誕生日』より)


注目すべきは、死刑執行の段取りが、1分30秒間で、時間ぴったりに行われていることだ。

これは事前に練習を繰り返して、狙ってやっているはずだ。

運行が時間通りで正確な日本の電車に対して、アメリカの電車は時間にいい加減だとされている。

しかし、A級戦犯の死刑執行という場面では、アメリカ人は工程表にのっとって日本人以上の正確さを発揮したのである。

時間の支配、時間を通した意思表示という点で、アメリカ人は日本人よりも徹底している。


◇昭和天皇の誕生日にA級戦犯を起訴、そして皇太子明仁の誕生日には……

平成になったとき、「これからは12月23日が天皇誕生日になる。23日は、A級戦犯が処刑された日だ」と思った。

偶然なのか、意図的に仕組まれたことなのか、考えてきた。

そして、解を見つけた。

証明できたと思っている。

昭和世代の習慣としては、天皇誕生日といえば4月29日である。

しかし、平成になって突然、歳暮のいそがしいときに祝日が出現してまごついた記憶が多くの人にあるのではないか。

天皇誕生日が12月に存在していることに、しばらく違和感があったはずだ。

結局、4月の天皇誕生日はみんなの習慣になっていたから、祝日として残された。

いまは「昭和の日」になっている。

その「昭和の日」は、昭和23年にA級戦犯28人が起訴された日である。

さらに5月3日の「憲法記念日」は、昭和22年に日本国憲法が施行された日であると同時に、昭和21年に東京裁判が開廷した日でもある。

これは単なる偶然の一致ではない。

昭和天皇誕生日にA級戦犯が起訴され、日本国憲法施行日に東京裁判が開廷、皇太子明仁の誕生日にA級戦犯が処刑されたという歴史的事実は、ひとつの暗号とみて戦後史を読み解くべきではないか。

ゴールデン・ウィークや天皇誕生日は、漠然と存在しているわけではない。

そこに意図的なメッセージを込めた人物が存在する。

「ジミーの誕生日の件、心配です」と日記に記した子爵夫人は、GHQ(連合国軍総司令部)のある人物と深い関係にあった。

12月23日という日付が果している役割は、GHQが天皇明仁に仕掛けた時限装置なのだ。

背景には、東京裁判において昭和天皇を起訴するかどうかという問題があった。

戦勝国の世論はヒトラーとヒロヒトの区別がつかない。

昭和天皇を起訴して裁判に処せよ、あるいは重要証人として出廷させよ、というものだった。しかし、マッカーサーは昭和天皇を不起訴にした。

そのうえで、マッカーサーは4月29日にA級戦犯の起訴を決めた。

これは、占領目的のために昭和天皇を裁くことはしないが、戦争責任はありますよ、という暗号でもあった。

さらに、いずれ占領を終えて去っていくマッカーサーは、東條らA級戦犯7人の処刑をあえて12月23日にすることで、将来、時限装置が作動するようにセットしておいた……

いまの日本には物語がないと言われるが、そんなことはない。

日本がなぜ戦争を始めたのか。

大きな物語を思い出すきっかけは、われわれの日常のなかに染み込んでいる。

これは絶対に偶然ではない。

天皇誕生日に「A級戦犯処刑記念日」とか言って、違う意味で祝日を祝う
非国民が今後現れないことを祈るばかりである。



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