バンザイクリフ | ひふみ塾 世回りブログ

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夜路死苦お願いします!



バンザイクリフ事件とは大東亜戦争中1944年7月、
サイパン島陥落時に邦人男女が「万歳」を叫んで
次々に断崖から海に身を投げて自殺した
いわゆる“バンザイ・クリフ事件”を日本兵が目撃した記録です。 

この日本人の自殺事件は、
米軍による婦女暴行や虐殺が誘発した事件であったことが、
生々しい記録として綴られています。

筆者(田中徳祐氏)は、敗戦後もゲリラ活動で戦い通した
元陸軍大尉(独立混成第47旅団)です。




米軍「いまだにジャングル内に残っている日本の兵隊さん、住民に告ぐ。
いまかけた歌は、なんと懐かしい歌ではありませんか。
みなさんの幼い頃を思い返してください。
一日も早く、平和な日が訪れるのを、
故郷の父母が待っていることを忘れないでください」

そしてさらに、
「米軍は虐待しません。命が大切です。
早く出てきてください」 
投降を勧める放送は再三くり返された。

我々はその放送を頭っから否定した。
「そんな甘い手に我々がのると思うか」
放送を耳にすればするほど、強い敵気心が湧いてきた。

投降呼びかけの放送とは裏腹に、
米軍は人道上許しがたい残虐な行為を次々と展開しだした。

我々は、バナデルの飛行場を見おろせる洞窟に潜んでいた。
距離にして1000米くらい先に、
上陸してすぐの3月20日から作業をはじめ
完成させた滑走路が横たわっていた。
しかしいまは米軍の砲爆撃で無惨な姿をさらけだしている。

そこへ、三方から追いまくられた
数百の住民が逃げ込み、捕われの身となった。 
幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。
婦女子が全員、素っ裸にされた。
そして、無理やりトラックに積み込まれた。
積み終ったトラックから走り出した。
婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している。

その声がマッピ山にこだましてはねかえってくる。

やがて、次のトラックも、次のトラックも走り出した。 
絶叫する彼女たちの声はやがて遠ざかつていった。 
‥‥なんたることをするのだ! 
小銃だけではどうすることもできない。
もし、一発でも発砲すれば敵に洞窟の場所を知らせることになる。
この悲劇をただ見守るより仕方ない。
(この婦女子はその後、1人として生還しなかった)

婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、
子供や老人の悲鳴かあがった。
ガソリンがまかれ、火がつけられた。
飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴‥‥。
米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい‥‥。

あの投降勧告はー体なんだったのか。
常夏の大空をこがさんぱかりに燃え上がる焔と黒煙。
幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。
そのすさまじいばかりの叫びが、
中天高くあがり太平洋の波をゆさぶらんばかりである。

「おい、もうがまんならん。撃て」
この状況をみていた私は叫んだ。
同時に吉田軍曹が一発撃った。
しかし、なんの効果もない。
敵は、もはや我々に無頓着である。

残虐な行為は凄絶をきわめた。
火から逃れようとする子供や老人を、
周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。
かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、
再び足で蹴りとばしたり、
銃で突き飛ばしては火の海へ投げこんでいる。

二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに
置き去られて泣いている赤ん坊をみつけだし、
両足を持って、真二つに引き裂いて火の中へ投げこんだ。
「ギヤッー!」という悲鳴。
人間がまるで蛙のようにまた裂きにされ殺されていく……。
彼らは、それをやっては大声で笑った。
無気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた。

射撃をやめ、この非道な行為を脳裏に焼きつけた。
いまは眼からは一滴の涙も出ず、
この恨みを、どこまでも生き抜いていつかきっと返さねばならぬと、
全身に激しい怒りがみなぎった。

恨みに狂う我々はしかし手のほどこしようもない。
焼き殺されていく無惨な運命にただ合掌し、
霊を弔うだけが精一杯だった。

我々の発砲にとうとう敵の反撃が始まった。
看護婦たちが自決した右上の丘陵伝いに、攻撃してきた。
我々は洞窟に潜み、抗戦をつづけた。
して夕暮れまでなんとか持ちこたえた。
だが、この戦闘でも半数は死傷者となり、
明日への戦闘能力を失った。

( 『 我ら降伏せず サイパン玉砕の狂気と真実 』 より抜粋 )

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さらに衝撃的な写真と話がありました。



ここにこんな写真がある。


これは1943年の「ライフ」誌に載っていた、
南太平洋戦線で戦った米兵が婚約者に送った日本人の頭蓋骨である。

「あれがパリの灯だ」で有名な飛行冒険家の
リンドバーグの手記に載っていたが、
日本兵の捕虜を飛行場に集め、
ブルドーザで生きているまま踏み潰した話、
たくさんの日本兵の捕虜を殺害し残飯捨て場に捨てた話、
この写真のように日本兵の頭蓋骨をお土産に持って帰るのが流行った話
おまけにまだ緑色した頭蓋骨(皮を剥いで間もない)を
衣のう(軍隊の大型の袋)に入れていて飛行場で注意を受けた話、
大たい骨を削って靴べらにするのが流行った話等

常識では考えられないことをするのが
騎馬民族アングロサクソン、支那人、朝鮮人である。
これをやられたのが我々の父であり、祖父の時代の日本人である。


戦後の日本人は、GHQによって、
ことごとく都合の悪い真実や事実を闇に葬られ、
日本軍を悪玉に仕立て上げ、
戦後70年を経た今でさえも、
終戦後と同じこと、
いえそれ以上の屈辱を受け続けているのです。

日本人は確かに過去を水に流す文化を持っているのは確かであり、
過去を忘れるからこそ、進歩発展するという利点もあります。

けれども戦後の日本人はあまりにも
欧米や支那・朝鮮人に馬鹿にされ、
蔑まれ、脅され、もてあそばれていると言う
事実を、現実を知らなければならないと思います。

今の経済優先人である日本人(かどうか怪しいですが)は
日本人に非ず!

私たちは真の日本人としての誇りと
真の日本を再建する気概を取り戻さねばならない!


幸食研究所  ひふみ塾
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