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小野田自然塾
小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年(大正11年)3月19日 - )は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。大東亜戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島から帰還を果たす。
活動内容
昭 和59年(1984)より、全国各地において青少年育成野外活動の指導。その実績を踏まえて福島県塙町にキャンプ場を設定・整備し、青少年及び一般人の野 外活動指導を軸に、指導者及びボランティアの養成・心身障害者の野外活動の援助・青少年国際交流事業・研究会・講演会等随時開催している。
自然塾活動の動機
1980年、1200ヘクトアールの牧場開発も終わり、牛も1800頭となり経営が軌道に乗り始めたころ、川崎市の「金属バット事件」をブラジルの邦字紙が報じた。 青少年の「心」の歪みはかねてから報ぜられていたが、猶予できない問題だと感じ、少しでも彼らの力になれればと決心した。
「自然は最高の教師である」と先人は教えている。私も自然に教えられ助けられて、ルバングの島でもブラジルでも厳しい中を自分らしく生きてきた。
彼ら青少年達と自然の懐に飛び込んで、一緒に行動しよう、そうすれば彼らはきっと人間の本質に目覚め、自己を見つめて目的を持ち、逞しく生きられるようになると考えたからである。
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残留日本兵
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