「やっぱゲンの親父さんはすごいよね~!」

この話しは何度も聞いている筈の親友だったが、なかばそれが自分の役割であるかのように、改めてやや派手に驚いてみせ、他の仲間たちの更なる興味を煽ると共に、案にこの物語の続きをかなり期待しているようだったし、他の仲間たちもそれを望んでいるようだったので、わたしは迷うことなく更に続けて親父の武勇伝を再開した。


「自分の父親ながら、ひいき目なしに壮絶な生き方をしてきたと思うし、当時としても特異な存在感で周囲の人たちを引きつけて止まなかったのは事実だろうと思うよ…」

「イヤイヤ…当時としてもそうだろうけど、今だって親父さんみたいな豪快な人生送った人は居ないって!」

親友は物語の続きに更なる勢いをもたらすように、やや興奮気味に親父の足跡を讃え、まるで催促するように話しの再開を促した。


「確かにそれはそうかもしれないね…逆に言えばあの時代だからまかり通る生き方だったのかもしれないし、そう言う意味では稀有な人生を送った数少ない人間だったと言えるのかもしれないね。」

「そうそう!だって親父さんみたいに毎日が戦いみたいな人生なんて、戦国武将でもない限りあり得ないだろし、はっきり言って当時の大山倍達と一戦交えてたとしても、親父さんの方が強かったと思うもん!」

少し大袈裟だなと思いつつ、わたしも正直その考え方に異論はなかった…

そう言えば親父はわたしと弟に、それとなく大山批判とも取れるニュアンスで、揺るぎない真の強さについて親父らしい表現で話してくれていた。


「…空手ば始めてから大体一年くらいして、もう少しで黒帯ば獲るか獲らんかくらいの者がよ~したがるとばってん、わざわざ人が見よる所でツヤ~に(格好つけて)河原の石ば持って来て手刀で割ったり、わざわざ2メーターくらいの氷ば3段重ねて肘で割ったり、あげなとは素人でちゃ体重移動の要領だけ教えりゃあ誰でちゃ簡単に出来るとじぇ!」

確かに力学的に考えれば、そのような行為は単なるパフォーマンスであり、ちょいと物理学に精通した人なら子供騙しのトリックのようなものである事は明らかだった。

「だいたいあげな動かんもんば相手にしてどげんするや?どっかのニヤがり(のぼせた奴)がツヤ~に牛の角ばへし折ったやら言いよるばってん、何が悲しゅうて牛と闘わなならんとや?動くち言うたっちゃ滅多な事じゃあ動物が人間にケンカば売る事はないっちゃけん、売名行為に使われた牛もかわいそうなもんばい!」

この話しをよく聞いたのは確かわたしが小学校6年生頃で、そろそろ物事の分別がつく年頃だったので、この話しのウラで本当は親父が何を言いたかったのかは見当がついていた…

「オレが一番強い!」

単純に言えばそれだけの事だったが、年を重ねていく度に、親父の言葉のひとつひとつが理に適っている事や、悪びれずに思った事をハッキリ口に出来る勇気と信念が、水嶋博則と言う男のカリスマ性を一層引き立たせていたのだと改めて認識させられ、今さらながら親父の子として生まれた事を誇りに思う今日この頃である。


「そうだね…確かに親父は途方もなく強かったと思うし、牛殺し大山倍達の逸話については、あれは決して強さの象徴とかじゃなく売名行為でしかないって堂々と公言してたからね。」

「だよね~っ!おそらく親父さんは空手を私利私欲の為に利用されるのが許せなかったんだろうし、例えそれが空手普及の為だったとしても、あのパフォーマンスは空手最強を証明するものではないって言いたかったんじゃないかな?」

直接親父の話しを聞いた経験のある親友は、親父の言わんとする所をよく理解しており、他の仲間たちにもその真意を的確に伝えたくて、まるで解説者のように饒舌な口ぶりで話しのフォローをしてくれた。

仲間たちも親友のフォローに後押しされる格好で、更に身を乗り出すようにこの物語の再開を待ち望んでいたが、先ずはこの話しの落ち着き所を決める事を優先しなければならなかった。

「これは飽くまで親父の見解なんだけど、牛の角が折れたのはちょうど角が生え変わる時期の牛だったからで、当然ある程度人並み以上の力は必要だったんだろうけど、予め角が折れやすい牛を選択していたからだって息巻いてたよ…」

「うんうん、オレもその話しは親父さんから聞いたけど、親父さんの見解に間違いはないと思うし、本当のところどうかは分からないけど、どう考えてもあれはパフォーマンスとしての要素が強いし、素人目に見れば牛の角をへし折る方がインパクト強いしね…」

「…だから親父は商売上手な空手家としての大山倍達は認めつつ、直感的に空手の実力は自分の方が上だと確信していたんじゃないかな?」

「オレも親父さんに出会うまでは、いわゆる“空手バカ一代”世代で、あのアニメ観て育ってるから大山倍達はヒーローだったし、それがキッカケで空手始めたって言っても過言じゃないくらい憧れの存在だったけど、同じ世代を生きた親父さんから空手界のウラ事情みたいな話しを聞いた途端、オレなんかアタマをガツーンって殴られた気分で、一気に夢から覚めた感じだったからね!」

「ハッハッハッハッ!博多弁丸出しの親父の話しを直接聞けば誰だってそうなるよ!」

高校時代、親友と2人で夏休みを利用してわたしの実家へと赴き、その時親父が身振り手振りを交え得意気に、親友を自分の武勇伝でもてなしてくれたくれた事を思い出し、思わずわたしは笑ってしまった…


「…ところで、その後山城組と親父さんはどうなったんですか?」

「あァ…悪い悪い!チョット話しが横道に逸れちゃったね…」

「あ…イヤッ、今の話しも充分に面白いんですが、チョット気になって仕方がないもんで、つい…」

痺れを切らせた仲間の1人が、遠慮がちに親父と山城組との決着がどう着いたのかを知りたがったが、それは他の仲間たちも親友も同じだった。

「そんじゃ皆さまの熱烈なリクエストにお答して、お待ちかねの博則劇場再開と行きますか⁉」

わたしは万を時して“HIRONORI vs 山城組”のその後を話し始めた…




まぼろしの


影を慕いて雨に日に


月にやるせぬ我が想ひ


つつめば燃ゆる胸の火に


身はこがれつつ偲び泣く…




侘しさよ


せめて痛みのなぐさめに


ギターを取りて爪弾けば


どこまで時雨逝く秋ぞ


トレモロさみし身は悲し…




君ゆえに


永き人世を霜枯れて


永久に春見ぬ我が運命


長ろうべきか空蝉の


はかなき影よ我が恋よ…




昭和の大作曲家、故古賀政夫の名曲である…

わたしと同年代の方々(1960年~)でも、タイトルならば知ってはいるがメロディーと共に最後まで歌える方は少ないのではないかと思われる。

わたしの場合、若かりし頃から深く音楽に携わる環境で日々を過ごしていたため、特に歌謡曲のジャンルに限って言えば、演歌(流行歌)やポップス、フォークやニューミュージック、さらにはロックに至るまで、広く浅くではあるが比較的多くの歌謡曲を知っている。

そんなわたしが、何故いまさら“影を慕いて”を改めてブログにアップするに至ったかと言えば、明確な理由は定かではないが、このところ頭の中でこの歌が、のべつまくなしにリフレインされていて、気がつけばいつの間にか小さな声で口ずさんでいたりして、自分でも“いまさら何故…”と思いながら、よくよくその歌詞を噛み締めてみると、名曲である事は言うに及ばず、改めて日本語の素晴らしさを痛感させられた訳である。

例えば“影を慕いて”というタイトルひとつをとっても、恋する事の痛みや、その激情をよく表していると思うし、何と言っても最初の歌詞である“まぼろしの影を慕いて雨に日に…”という表現は秀逸で、いまさら解説の必要もなかろうが、敢えて現代的表現をするなら、“恋しいあなたのまぼろしの、そのまた影をお慕いするほど、わたしの日常はあなたの事でいっぱいなのです…”とでもなろうか…

続けて“月にやるせぬ~身はこがれつつ偲び泣く…”は、“夜更けて一人月を眺めても、あなたへの想いが募るばかりでやるせなく、胸に秘めたるやり場ない、この激しい想いを見過ごせれば、こんなにも身をこがしてまで偲び泣くこともなかったのです…”となる。

これ以降は最後まで現代的表現にて記述を進める…

“侘しさのあまり、せめて胸の痛みのなぐさめにと、秋の夜長を戯れのまま、ギターを手に取りたった一人で奏でてみても、心は癒されるどころか余計に時雨(しぐれ)て、せつなく響くギターの悲しいトレモロ(振音)が、わたしの心を震わせていっそう辛くさせるのです…”

“あなたの事ばかりを想い続けてきた日々は、心に霜が降り積もるほど永く辛いものでした…永久に春を迎える事のない、あなたへのわたしの恋の運命は、夕日に儚く照らされた悲しい蝉の脱け殻の、そのまた影のようなものでしかないのです…”


こうして敢えて現代的表現にしてみると、いわゆる五七調の俳句や短歌に見られる日本的表現は、日本語がいかに優れた言語であるかの証明に他ならないし、短いセンテンスでより多くの情報を伝えられる素晴らしい言語あり、またそこから物語の情景や、主人公の繊細な心情を読み取る能力、いわゆる行間を読むと言うような特殊な才能を、我々日本人は元々持ち合わせている。

つまるところ日本語は美しく、最も洗練された言語であると断言しても決して言い過ぎではない…

“影を慕いて”

これほど美しい愛の言葉をわたしは知らない。






激しかった雨はパタリと止み、ぬかるんだ土の上におびただしい数の手下たちが折り重なるように無惨な姿で転がる中、博則はゆっくりと態勢を整え静かに深呼吸をし、最後の1人となった矢野を睨み付け一気に決着を着けるべく集中力を高めた…


「オイ!矢野!覚悟は出来とるとやろうな!?散々オレばバカにしたツケは大きかぜ!」

「な…な~んば言いよるとか!イタい目ば見るとはお前の方たい!!」

博則の言葉を受けて即座に応える矢野であったがその声は頼りなく、いくら声高に叫んだところでそれは強がり以外の何者でもなかった…

今更決着を見るまでもなく勝負はついているようなものであったが、博則には自分なりに見出だした格闘哲学があった。


「矢野よい…声が震えよるぜ!逃げるなら今のうちやなかや?オレの体力が回復したらお前やァ死ぬ目に会わなならんぜ!」

普通ならばこうした類いの言葉は相手を脅す場合に用いられるもので相手の心理を撹乱する意味でもいくらか誇張して発せられるものであるが、博則の場合は一切の誇張や相手の心理には関係なく殆どの場合言葉そのもの持つ意味通りの事が実行されるのである…

空手を習得する以前からチビとバカにされる度喧嘩に明け暮れた体験から学んだ博則の格闘哲学とは、対戦相手を徹頭徹尾叩きのめす事…

つまり復讐しようなどと微塵も思わせぬよう徹底的に相手を追い詰め誰であれ一度敵と見なしたら完膚なきまでに撃破する。

下手に中途半端な安い情けをかけようものなら相手はますます頭に乗り己の力量もわきまえず、復讐心に駆られた末終わりなき負の連鎖を繰り返す結果を招くだけなのである…

“情けは人のためならず”

それが博則の格闘哲学であった。


「ウォーリャー!!」

精神的に追い詰められた矢野は自身に残された狂気を盾に、最後の気力を振り絞り博則に襲いかかっていった!

シュン!シュンシュン!!

矢野の長ドスが闇雲に不規則な軌道で博則めがけて振り回された!


「ヴァーッ!!」

剣鬼杉崎との対戦経験のある博則にとってド素人である矢野の攻撃など子供のチャンバラ遊び同然であったが、尋常ではない矢野の狂気は“狂犬”の名に違わずテンションが上がる毎に凄まじさを増し、長ドスを振り回す矢野の目は完全に常軌を逸していた…


シュン!シュン!シュン!

「ヒャーッハッハッハッハッ!」

目を血走らせ狂ったように笑いながら尚も博則に対する矢野の攻撃は止む事はなく、動物的本能に従い長ドスを振り回す矢野の動きは人間業のそれを遥かに超えており、この状態は博則にとっても少し厄介なものである事は確かであった。


「殺す…殺すゥ~ッ!!」

あらゆるタイプの対戦相手と凌ぎを削ってきた流石の博則も気違いじみた矢野の次なる一手を読むのは非常に困難であり、このようなタイプの相手は初めてで正直その対応に戸惑いの色を隠せなかった…

いくらかでも武道をたしなむ者であれば、空手は元より柔道或いは剣道やボクシング、ムエタイなどあらゆる格闘技の動きにはそれなりにあるパターンが存在するため、達人になればなる程相手の動きの数手先まで読めるものであるが、狂犬と化した矢野の動きには所謂パターンなど存在せず、全くもって次の動きが読めなかった。


シュン!シュン!シュシュン!

「ぬぅッ!!」

それでも博則は不規則に振り回される長ドスの軌道を上手く躱しながら反撃のチャンスを虎視眈々と伺っていた…


ガスッ!!

後退しながら公園を取り囲むように生い茂る木々の側まで充分に矢野を引き付けた時、博則目掛けて大きく降り下ろされた矢野の長ドスが、斜めに大きく張り出していた木の幹に深く食い込み、ほんの一瞬だが矢野の攻撃に隙が生じた!


「ヨッシャ!」

パターンの読めない言わば無茶苦茶な攻撃中に生じた千差一隅のチャンスに乗じ、博則は鬱積していたイライラを一気に爆発させるかのように怒濤の反撃に転じた!


「ソイヤッ!!」

ボクッ!

怒りに満ちた気合い一閃、丸太のような博則の右腕が矢野の腹部をエグるように深々と突き刺さっていた!


「ヴゥゥゥ~ッ…」

身体をくの字に曲げ低い呻き声の後嘔吐し、つんのめるように前屈みに態勢が崩れた矢野の顔面めがけて続けざま怒りに満ちた必殺の前蹴りが轟音と共に繰り出された!!


グシャッ!!


「ブヒャッ!」

熟れすぎたトマトを潰した時のような鈍い破裂音を残し、鮮血を撒き散らしながら矢野は木の幹に長ドスを深く食い込ませたまま一撃でボロ雑巾のように事切れた…


「…長ドスば手にくくりつけるバカが居るか…」

博則は静かな調子でそう呟くと、原型をとどめない程醜く変形した血染めの矢野の顔面を鬼の形相で睨み付け、意識のないことを確認した後ゆっくりと踵を返し、地に染まった激戦の地をひととおり見回しチンピラ共の全滅を確かめると、ピクリとも動かない矢野に向かって背中越しにポツリと呟いた…


「復讐しょうやら思うなよ…」

その言葉が終わるや否や、木にぶら下がったまま動かなかった矢野の右手の手拭いが解け、長ドスだけが幹に残され矢野は崩れ落ちるように地べたに這いつくばった…


ドサッ!

その音に首尾良く反応した博則は瞬時に崩れ落ちた矢野の方に向き直り、痙攣している矢野を見るなり思いきり腹部を踏みつけトドメの一撃を食らわせた!


「こ奴ァまだ生きとるとかーッ!」

ガコッ!!

無論矢野に意識があろうはずもなく最後の一撃で痙攣すらも止まり、矢野の身体は死体のようにピクリとも動かなくなった。


矢野の腹部に食い込んだ右足をゆっくりと上げ、今度こそ一瞥もくれずにその場をスタスタと足早に退散し始めた博則は、東公園を出たところで一度足を止め、公園の象徴である日蓮聖人像を振り返り、珍しく敬虔な気持ちで一言ポツリとこう呟いた…


「オレは、降りかかる火の粉ば払うただけばい…」

雨に濡れた日蓮聖人像は月明かりに照らされ、日々を戦いに明け暮れる博則の数奇な宿命を憂うようにブロンズの肌を鈍く光らせていた…