私は何代か前に、ダウン症児だった。

このことは、以前書いている。


愛情深い両親で、私の世話をないがしろになどしなかった。


それでも、私は孤独だった。

可愛がる事と、一人の人として関係を築くことは、別。


ある日、私を一人の人間として会話してくれる人が来た。

笑い会うことさえ、してくれた。


私は、当時は、男の子で、その人は男性だった。


両親の友人だったその人は、もう一度だけ、ほんの短い再会があっただけで、二度と会うことは、無かった。


それでも、私は一生、待ち続けた。

その人に、会いたいと両親に告げるようなコミュニケーション能力も、無かった。


身体の弱かった私は、寿命が尽きかけていた。

両親は「死ぬな」と、繰り返す。

私は、何故分からないのか❗️

私の、孤独や、苦しさが、と思っていた。


やっと、あの世に、行けた時、どんなに嬉しかったか。


この生で私が、学んだのは、知的障害のある人が持つ、孤独、霊的知性、私自身がこの生を選んだこと。

両親が分からぬ、周りの人の寿命や未来も予知

出来ていた。

こんな簡単、明瞭なことが、何故解らないのか?と思っていた。

しかし、伝えることは、出来なかった。


寿命の持つ本来の長さの尊さ。

長いから、良い、悪いでは、決して、ない。


今生の母に、この事を、言った。

「分かる。あんたは、ごく小さい頃ダウン症の子供の歩き方やった。てっきり、そうやと

思た。」と言った。