結局、荒神さんに行った。

体は、だるかったけれど、大したことないと思っていた。

3日経っても、まだ、しんどいばかり。


あかんと、これはもう無理。

で、荒神さんに伺うことにする。


本当は明日が、荒神さんの御縁日。

でも、私は何でも一日前に倒す。


もっと前に、こうした手を打つべきだった。

でも、何らかの因縁があると引きずられて

打つべき手は、遅れる。


今朝、まだ、ぐずぐすしていると、「さっさと行ったら、良いのに。」

と 守護霊さんに、言われた。

今日も止めとこうかなあと思った矢先だった。


バレとるがな。わかった。分かった。

行きまっさ。


人というのは、ことほど左様に、度しがたい。


まあ、往路も、帰路もしんどい。


本殿前で、丁度お会いしたので、荒神さんのお坊様に、荒神経について

尋ねた。(解らないところがあった)


まるっきりすれ違って、結局、解らずじまい。

仕方ない。


このまま、本殿の神様にお詣りする。

何故か!泣いておられる。


どうしてかは、わからない。


当初の目的だった「わたしはセロ弾きのゴーシュ」を御神前に奉って、お詣りをする。

柏手は長く必要だった。


以前に書いているけれど、私は二礼ニ拍手ではない。

いつもなら、十拍手。でも、綺麗な音がでないなら、音が綺麗に成るまで打つ。

時には、霊笛、気合いもしないと、ダメな時もある。


今回はそれだった。

「今回は、新しい段階。一歩、踏み込んだ容。」と言われた。


勿論、なんのことやら、判らず。

ふーん。だった。


次の大師堂で、今日の仕事はこれで、終わり。

と言われた。


ただ、一願地蔵さんのところに、塩辛蜻蛉。


神社で、蜻蛉はお慶び頂けているというから、

嬉しかった。

ずーっと見ていたら、元気になった。


お経のことで、お坊様とのことを、引きずっていた。


でも、何らかのストレスと言うものは、お詣りに、良い効果?良いお陰があって、その分、力が入る。


し、その分、浄化されて、私たちの心身は、透明感が増す。

ん?神さん、その為に、私にお坊様に、会わせたの?


まあ、此は、考え過ぎかも。

でも、そう、人生で辛いことは、値打ちある。

何時だって、感謝すべきことらしい。


ふん、といって、私も、毎日のように、辛い、もう、嫌だ。

と、文句ばっかり垂れてまんねん。


ともあれ、今日の、荒神さんは、良いお詣りだった。

達成感、充実感、満載。


こんな時は、絶対、あかん奴。

御詣りで、充実感は、明日、バタンキューの

予感。


案の定!翌日は、一日中、寝た。


翌日の、我が家の神棚でのお詣りで言われたのが、前出の「一歩、踏み込んだ容」だった。


ひょっとしたらアフガニスタンは、地球のお臍

、経絡で言う、ツボみたいな大事な土地かも。


人も星も、喧嘩はあかんと言うこと?

喧嘩をしたら、身体が冷える。


地球も、アフガニスタンも冷えてはる。

でも、それを過ぎて、熱を出してはる。

地球全体も。


地球人類の、心が温かくなったら、地球も

温かくなって、熱が下がりはるかも。


まあ、私も、もうちょっと分かると良いのにね。


判るとその分、しんどいと言う話もある。


……それは、嫌。絶対。


「そう、だから、こうなっとる。」らしい。


あっそう。ありがとうございます。って、言ったら良いんだよね。


でも、やっぱ、元気になりたいんだよね。