以前、このブログを 書いていたような気がする。

でもなぜか。見つからない。そこで、一年経って何かが変わった

のか変わらなかったのかを 考えてみたい。

自分では 幾分スピリチュアル生活を目指しているつもり。

でも、数多おられるスピリチュアラーの方たちのように 見える

ことも聞こえることもない。 ほんのたまに 見え、聞こえるだけ。

 私は 生まれてすぐから、いわゆる因縁を拾っていたよう。

何かを、見え聞くのではなく、おなかが痛くなる。

初めての 言葉が「おなかが痛い」だったそう。

ここ30年は病院と占いとお参りで 何とか生活を やりくりしてきた。

あの激烈な腹痛、発熱、ともなんとか折り合ってきた。

病院の医師はおっしゃる。70年痛いなら、悪いものではない。

そうかもしらんけど、それなら、治してほしい。

はっきり憶えているのは、一歳の子供を残して、亡くなった女性の時。

その方のお仏壇にしていた箪笥を くれるという。

「そんなん絶対いらん。」当時の主人に言ったけれど、「もらってくる」という。

結局、近くの公園で、空に向かって、語り掛けた。

「確かにあなたは お辛いと思う。そして、私のところに来れば、お茶もお花もお経も

上げると思う。

 でも、私は他人だ。しかも。あなたは、生前、お仏壇にお線香の一本、お経の一回

も上げたことがない。

なのに、私のところにきて、あれもこれも、してもらう。それはなんか違う」

それより貴方のそばに どなたかが迎えに来ておられるのではありませんか?どうか、

その方と一緒に行くところへ、行ってください。」と。

 それは もうこんこんと。すると、向こうから二歳半の息子が走ってきて、ぺこりと

頭を下げて言った。「承知いたしました。」と。

今から思うと まあよう口いっぱい偉そうに言ったこととは思う。

でも、わたしも助かりたい一心だったのだ。勿論、体調は万全になった。

そして、30数年が経ち、先週お腹が痛かった。

まずは 足と手をマッサージ。これは効かない。ならば、あっち(霊的な方)だ。で、

塩をふろ場で自分に振りかける。

その程度で取れるなら、苦労はしない。こういう時のは 結構な粘性があって、まるで

コールタールのよう。

 次は お茶を おどんぶり一杯 沸かして、どうか成仏してくれるように頼む。

でも、こん回のは もっと多いようだった。そのときは少し楽になっても、翌日、しく

しくする。

ここで、伝家の宝刀。宝塚の清三宝荒神さんだ。息子が丁度行く用事があるというの

で、一緒にお参りした。

御祈祷など受けなくても、綺麗に してくれた。ごく、普通にお参りをしただけなのに。

 十年前にも 近くの防空壕の 方々らしき卒塔婆、数千本の霊視をした時も、荒神

んに参って 神様に手を打ってもらった。

 考えると、以前は 腹痛とその他で一週間は寝付いたものだ。でも、今回は三日ほど

で起き上がっている。  
 

拈華微笑とまでは 行かないにしても、少しく 短日化ができていて、ほんとうにあ

りがたい。

もし、あなたが霊的な方で つらいことがお有りなら宝塚の清三宝荒神さんがお勧め。

世の中は 自分じゃどうしょうもないことが たくさんあるから。

お墓やお仏壇に頼み事は しない。でも、神様には百でも二百でもする。

ただ、神様への頼み事は人には言わない。神様だけとの約束だから。