勝敗の場を越えて。女神として立つ同志を待つ。
思えば、負けてばかりの人生でした。勝てる要素はあるのに、勝ってはいけないと思う、そんな自分がいました。時に自明的にどうしても勝ちたいと思う時でさえどうやったって勝てないそんな力が働いて、結局の所、わたしはどの道、欲しいものは何一つ(手に)入らないのだと諦めるしかなくなるまでに挑戦しては負け続けとうとう心が折れてしまったのです。何もない自分になってしまった。誰にも勝てない弱いわたしになってしまった。悠々と手に入れていたものは『この豊かさを誰かにも実感してもらいたい』とその一心で易々とその場を人に譲ってしまっていました。それが、わたしの苦しみでもありました。永遠に手に入らない豊かさ。永遠にやって来ないわたしの番。真理はいつも単純で勝ちたい自分がいる時には勝ちたくない自分が隠れている時。この二つが相反して互いに牽制しあっている。左半身では与え続け右半身では我慢の連続。左半身は本当は勝ちたい。右半身は勝ちたくない自分がいた。勝ちたくない自分にはこんな自分が隠れていた。【なんでこんなこともできないの?】人を小馬鹿にしながらも、勝つことで人から嫉妬されることだけは絶対に嫌だった。嫉妬だけは、どうしても避けたいことだった。ふと、わたしを小馬鹿にしたような母の笑い顔が思い浮かぶ。気に食わない。わたしが苦手なことを一生懸命やっているのに、ほんの小さな なけなしの真心を鼻で笑うかのようなその笑み。母の本当に大嫌いな一面だ。過去世が呼び起こされる。わたしがあなたが望むなら、と嫌だったけれど自らの立場を他の女性に譲った。彼女はわたしが心から愛したパートナーを連れて「行こう!」と侮蔑の目でわたしを見て彼と共に去っていった。どれほど後悔したことか。彼女と神のために彼を手放した自分の心も否定できず、そしてまた後ろめたそうに去っていく彼の瞳が忘れられず、わたしは、彼が去った後の自分を実感し何度も罪悪感と再び取り戻したい自分との間で苦しんできた。同時に、善意の想いが伝わらず神への信仰と共に自らを抑えるしかなかった。申し訳なさが立つと共に女としての輝きを捨てなければならなかった自分を許すことができずにいた。わたしには「ある資質」があったのだと思う。今、思うことは、その資質を他者に嫉妬されるために使うのではなくみんなに喜んでもらえたりみんなに笑ってもらえたりみんなに大好きになってもらうために使えたなら…こんなに素晴らしいことはないんじゃないか?ということ。これは、正に導き手の資質。「わたし」が輝くこと。「わたし」が可愛くなること。「わたし」が美しくなること。「わたし」が高貴でいること。「わたし」が一番になること。全部許していいと思えた。何故なら、わたしが、誰よりも自分の弱さやできない、と思ってしまうこと「でも、だって、」と言ってしまうこと一生懸命にやってもどうにもならないことまた、どうしても動けなくなってしまうこと自分に自信が持てないこと大好きな人に素直に甘えられないこと疲れているのに頑張らずにはいられないこと痩せ我慢をしてしまうこと人になんでも与えてしまうこと欲しい、と言えないこと理不尽なことをされても言い返せないこと自分を悪者にしてしまうこと誰かを嫌ってしまうこと嫌なのに、相手を赦してしまうこと全部全部、理由があって、そうなってしまう、ということ。その痛みを感じてきた張本人なのだから。わたしは誰よりも人の弱さがわかる人間です。それゆえ、優しくなれます。それゆえ、寛容になれます。それゆえ、厳しくなれます。それゆえ、強くなれます。わたしは、母なる存在です。誰かの下に入るために、自分の力を発揮するのではない。全ての苦しむ人々のため全ての弱き人々のため全ての命のためにのみこの資質は使うものです。それゆえ、「わたし」は人々から愛されます。それゆえ、「わたし」は傲慢にはなりません。それゆえ、「わたし」は(どんな自分も)誰一人見捨てません。それゆえ、「わたし」は全ての人から好かれてしまいます。わたしは女であり、母であり、娘であり、人です。子を(個を)設けるものです。もう、子どもではありません。わたしは永遠に成長します。わたしは時に衰えます。それすらも赦されたものです。姿形を変え、わたしは、女として今、ここに、立ちます。もはや、勝ち負けでもない。わたしはわたしの欲しいものを手にし、手に入れられたものは大事に育みます。わたしの手から離れたものには祝福を送り執着しません。わたしは愛です。愛の源です。わたしの愛は愛へと還っていきます。イシスの玉座に坐しイシュタルの光を頂きにわたしはわたしを生きていく。(エジプト フィラエのイシス神殿にて)来れよ友よ。集えよ友よ。あなたは、あなた自身が豊穣の女神となる。