過去世の苦しみ・悲しみの記憶を受け入れることで 體が整う。
ずっと留めてきた過去世の記憶を深い悲しみや深い苦しみからくる教訓ばかりだったためそれに酷似した状況が現実に展開されるとその状況を変えようと必死に頑張ってきたわたしだけれど過去を受け入れることも今を変えることもできず自分を責めてきた。それは「過去の未消化な感情が現実を引き寄せる」という思いが頭にあって同時に「今を受け入れないから状況が変化しない」というようなアイディアが頭の片隅にあったから。行くも引くもできず強いエネルギー作用の中で自らを深く抱き止めることもできず引き裂かれてしまった。傷を負った肉体が治癒するように激しいエネルギー分裂の痛みは見るも無惨な状態ではありつつも長い年月をかけてゆっくりと治癒をする。ある聖者がある友人が「過去ばかり見つめて、どうするんだ。」「過去ばかりを見るから、あなたは変わらない。」そう言ったのを真に受けてひどく傷ついた。反面で、わたしの傷や過去がわたしの愛のプロットを残していたものだと内的には知っていたのに彼らを信じて、自分を信じられなかったそのことに、本当は一番自分が傷ついていたのだと思う。自分が自分を傷つけていた。だから長らく記憶を消そう、消そうとして、消えないならばと見ないように、見ないようにしてきた。それがさらに自分を追い詰めて、、、でも今日、その悪しき記憶もその苦しい体感も悲しみも全て自分のものである、それこそがわたしの愛の記憶であると受け入れることにした。苦しみのまま。悲しみのまま。苦しいのは、愛した記憶があるから。悲しいのも、愛があったから。苦しみがなければ楽しみもない。悲しみがなければ喜びもない。受け入れることで初めてみぞおち近く滅入って折れてしまっていた體が随分と楽になり体幹が少しだけ戻ってきた。それで良かったんだ、と思った。どんなにすごい聖者でもどんなにスピリチュアル的に長けた人であっても他人の本当を正しく認識することは相手と共に深く見ていくこと以外に導くことなどできない。一人ひとりにそうなってしまった理由がありそうなってしまう方向、エネルギーの回転の向きがあるんだ。それが誘導する方向を間違えると必ずより悪化する方向へ進んでしまう。エネルギーワークもそうだよ。真実は必ず楽になる。真実は必ず気安くなる。體が教えてくれる。忘れるのとも違う。消えるのとも違う。自然と溶けていく。目的と方向性と想いと真実と。それぞれを丁寧に見てあげてね。自分の本当をどうか大事にしてね。過去の全てが今のわたしを形造ったのだから。