こんにちは、新居の片付けがちっとも終わらず己の物を抱え込む性質について、向き合う必要性から逃れられない時期がとうとう来たことを実感しまくっているセラピスト伊藤ひろみです。

 

 

さて、今日は私が設定変更をメニューから外した理由について書いてみたいと思います。

 

 

結論から言うと

(早いな^^;)

 

【設定変更が自分のためになってなかったから】

 

 

 

2017年12月にパリツアーに参加させていただいてから

いろんなモノの感じ方や自分の在り方が変化していったんですけど

ノートの書き方も変わっていったんですね。

 

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それまではなんというか、頭に浮かんだことをちょっと整理してキレイに書いてた感じ?

パリから帰ってきてからは頭に浮かんだ言葉をそのまま

ペンを通してノートに書き落とすようになりました。

 

 

例えば

 

前)さきこ教信者と思われて「信者だから設定変更をすごいって言うんでしょ」と思われるのでは?

後)さきこ教信者って思われちゃうじゃーん。信者とかじゃないし。別に信者だから盲信的に設定変更すごいって言ってるワケじゃなくてホントにすごいのに、外部の人からは「信者だからでしょ」って言われるんだろーなー。

 

 

↑みたいな感じ。浮かんだことをそのまま書く。

そうなってから気が付いたんです。

 

ちょっと何か気づきがあった時に、次に出てくるのがいつも

 

 

「あ!これすごくいい参考事例になるじゃん!」

 

「このことをどう説明したらセミナーでうまく伝えられるかな?」

 

「このしくじりポイントって、〇〇さんが問題にしてたあの件にうまく応用できるよね?」

 

 

つまり自分の身の上に起こった出来事全てを

 

”設定変更を伝えるネタ”

 

として考えるクセがついてたんです。

 

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もちろんお仕事として設定変更をお伝えしているワケですからそれは当然なんだけど

自分と向き合う思考から切り替わるタイミングが早すぎる。

 

 

 

まだまだ自分に問いかけ続ければ深い深いところから思いもよらない本音が出て来ることもあるのに

浅い部分の気づきを得た時点ですぐさまセミナーやセッションへの応用を考え始めてしまう。

これでは本当の本当の気持ちにたどり着くのがとても難しかったんです。

 

設定変更って、本来は自分の人生のために使うものなのに

(ちょっとニュアンスが違うけど、今はあえて”使う”という表現にしておこう)

私の場合は自分の人生を設定変更のために使ってしまっている状態でした。

 

 

 

The 本末転倒。

 

 

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もちろんそのクセをやめようと思いましたけどなかなかやめられない。

ビックリするほどやめられない。

で、どうしたものか自分と対話してみたのです。

 

 

 

「なんで応用しようとするの?」

 

「だって人に教えてるから。わかりやすい事例がたくさんあった方が理解しやすいじゃない。」

 

「なんで教えるの?」

 

「お仕事だから」

 

「なんで設定変更をお仕事にしてるの?」

 

「設定変更をもっと上手に伝えられるようになりたいからってクラウドファンディングでお金集めてパリに行ったから」

 

「なんでもっと上手に伝えられるようになりたかったの?」

 

「私が設定変更ですごく幸せになれたから、設定変更を伝えることで幸せになる人や笑顔になる人をたくさん見たいから」

 

「つまり本当の願いは幸せになる人や笑顔になる人をたくさん見たいなのね?」

 

 

 

そこまでたどり着いたところで、私はあることに気が付いたんです。

 

 

 

 

長くなるのでその2に続く。。。