神社の向きと立地地点から、
長野県飯田下伊那地方の
地理概要について述べていく。
また松本市・長野市市街地とも
比較してみる。
長野県飯田市は実地、
松本市・長野市はグーグルマップで。
神社の向き(本殿から眺める方向)
・長野県飯田下伊那(高森・豊丘~鼎・喬木辺り)地形図
地質図
飯田市は、伊那盆地に属す。赤石山脈と木曽山脈に東西を挟まれ、南北に走る天竜川を中心に展開する、河岸段丘の地形である。
天竜川の西(竜西)地域は、断層によって段丘が形成されており、集落や道路が南北に展開しやすく、神社はその一段小高い所から眺めるかのような配置がなされ、神社の向きも南東方向が多くを占める。
天竜川の東(竜東)地域は、ひな壇型の典型的な河岸段丘地形といわれ、天竜川沿い及びその支流沿いに集落や道路が展開しやすい傾向にある。神社の向きは南西と北西が多く見られ、集落展開との関係性がうかがえる。
↓天竜川沿いに対岸を眺める神社
1 高森・八幡神社
2 上郷飯沼・田園社、3 豊丘・伴野神社
↓支流沿いの集落を眺める神社
4 喬木・韓郷社、5 鼎・矢高神社
↓山間の小盆地集落を眺める神社。
6 喬木・富田城祠
中世城館から転用された所は、
地形との関係性がより大きいとする
考察もある(遠藤・マゼレオ(2015))
上記地図においては、
写真3・6の伴野神社(伴野城)、富田城祠、
長姫神社(飯田城)、愛宕稲荷神社(愛宕城)、
飯沼諏訪神社(飯沼城)などがあり、
他の神社も城址との近接がうかがえる。
参考資料・文献
地図センター「彩色地形図閲覧」http://net.jmc.or.jp/saishiki/index.asp 2010.9.9
建設省中部地方建設局天竜川上流工事事務所(1984)『天竜川上流地質図』
遠藤賢也・マゼレオみほ(2015)「宮城県南三陸町における神社の立地特性の把握とその歴史的背景に関する考察」『ランドスケープ研究』78巻5号
・松本市
↑令和4年以前の松本市HPより
マップは現在、以下より検索できる。
松本市街地は、
女鳥羽川、薄川、田川、奈良井川など各水系による複数の扇状地からなる。
善光寺街道、糸魚川街道など古代からの交通の要衝地であり、古代国府、松本城など拠点立地が歴史的に集中する。
神社も国府関連(惣社伊和神社、筑摩神社など)、松本城関連(松本神社、若宮八幡宮など)のものが分布する。
要衝地であり、複数の水系が入り組むこの地は古代から開発によって形成されてきた、と思っていてよいか。
神社の向きは、概ね川に沿う方向に向いているように窺える。
ランドマークを中心に、複数河川が交わる様相は、
東京都渋谷区に似ている印象。
↑東京都建設局HPより
一方、上記以外の小神社・祠が点在しており、干拓によって宅地造成されてきた経緯からか、向きに規則性は観られず、遊具や集会所などが併設され、神社の形式を借りたコミュニティ施設としての側面が窺える。
これは、後藤・中岡(2002)の佐賀平野の事例とも似る。
飯田市が 「山辺」 の地形、松本市は 「水辺」 の地形としての要素が多いのがうかがえる。
参考文献
市川正夫編(2020)『令和版やさしい長野県の教科書 地理』しなのき書房
信州郷土史研究会(1981)『信州の文化シリーズ 寺と神社』信濃毎日新聞社
東京都建設局「城南地区河川流域浸水予想区域図」 H19.7.30修正
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/suigai_taisaku/index/menu02-04.htm より抜粋。
後藤隆太郎・中岡義介(2002)「集住地の神社からみた佐賀低平地における集住地特性」『日本建築学会計画系論文集』551 197-203p
・長野市
↑犀川・長野市街地辺り
↑千曲川・長沼~松代辺り
いずれも千曲川河川事務所HPの
ハザードマップより 2022.7.16 時点
長野市街地は、千曲川・犀川水系の扇状地からなる。
川中島・大島など「島」、赤沼・長沼など「沼」、などの氾濫原・湿地帯などを示す地名が多い。
神社・仏閣、城などは、湿地帯・水上交通を行う上での拠点として機能していたとされる。
神社分布としては、市街地北部は善光寺関連(妻科神社、湯福神社、武井神社)、市街地南部は真田氏・海野氏関連(白鳥神社など)、ほか海人族関連(風間神社、氷鉋斗売神社など)が見られる。
神社の向きは、概ね川筋との関係性が窺える。近年、洪水被害のあった長沼地域を含め、水害による流失・再建・移転を繰り返した神社も多く、歴史的に湿地帯開発により、発展してきた地域であろうことが考えられる。公民館や遊具施設などの併設も多く見られる。
松本市と同じく、「水辺」 の地形としての要素が強く、また平野部におけるまちづくり・宅地開発との対応も見られる。
善光寺などのランドマークとの関係性も実地見分で見られるのかもしれないが、地図上で把握する限りにおいて、飯田市ほど顕著に 「山辺」 地形としての要素はうかがえない。
長野県3地域を調べてみて、飯田市のように高い所から眺めるような立地の傾向が見られるのは、割と珍しいものであったということは、意外な結果だったように思う。
「水辺」 において町が発展し、水害のたびに再建し、その都度のまちづくりに応じていく中で、現在の神社が継承されている、というのがスタンダードなのか(?)
参考文献
市川正夫編(2020)『令和版やさしい長野県の教科書 地理』しなのき書房
信州郷土史研究会(1981)『信州の文化シリーズ 寺と神社』信濃毎日新聞社
長野県神社庁HP 2022.7.16時点
後藤隆太郎・中岡義介(2002)「集住地の神社からみた佐賀低平地における集住地特性」『日本建築学会計画系論文集』551 197-203p
神社の向きに着目した研究は、
上田篤、樋口忠彦、宇杉和夫らの研究をはじめ、
神社と地形との関係性に着目するにあたって、
調査項目の一つとして、必ず挙げられる。
参考文献
樋口忠彦(1993)『日本の景観 ふるさとの原型』ちくま学芸文庫
宇杉和夫(2003)『日本の空間認識と景観構成』古今書院
上田篤(1985)『空間の演出力』筑摩書房
上田篤(1996)『日本の都市は海からつくられた』中公新書
渡辺久雄(1979)「神社立地の歴史地理学的検討の試み:尼崎市域の神社予備調査を実施して」『地域史研究:尼崎市立地域研究資料館紀要』8-3 47-63p
法政大学工学部建築学科陣内研究室(1999)『東京郊外の地理学 日常的な風景から歴史を読む』69p
後藤隆太郎・中岡義介(2002)「集住地の神社からみた佐賀低平地における集住地特性」『日本建築学会計画系論文集』551 197-203p