最近、『山田玲司のヤングサンデー』

ばっかり観てる。

 

 

クロニクルから諸々の作品を

位置づけるのって、やっぱ面白い。

(ホントかなぁ? あてはまってるかぁ?

と醒めてしまうのもセットで)

 

現代史のポイントとして

よく挙げられるのが、

 

'60年代 安保闘争

’70年代 オイルショック・公害

’80年代 プラザ合意からのバブル

’90年代 震災・オウム

’00年代 IT革命(昭和的OSは変わらぬまま)

’10年代~ 震災・原発

 

といったところだろうか。

拾いきれてないのいっぱいあるけど。

 

これは宇野常寛の

 

~’68 ビッグブラザーの時代

'68~'95・'01 ビッグブラザーの解体期

'95・'01~ リトル・ピープルの時代

 

とも概ね似てるだろうか?

(強引すぎるか?)

 

リトル・ピープルの時代 (幻冬舎文庫)

 

これらに沿って考えると、

’90年代作品が、

時代の狭間にあり、かつ

実験が諸々、試みられてたのかなと

思ってしまう。

 

自分が好きな作品でいうと、

 

レスキューポリスシリーズにおいて、

悪人を「倒す」ではなく、

「逮捕する」「償わせる」

命の危険があれば「助ける」

と、悪との向き合い方、

善と善の対立など、

難解なテーマへの挑戦が行われている。

 

戦隊では

『ジェットマン』

『ジュウレンジャー』

『ダイレンジャー』

『カクレンジャー』

『カーレンジャー』などで、

ドラマの多様性、善悪の超越、

追加戦士、メタ的なセリフなど、

従来のプロット・演出から

いかに脱却するかが観られる。

 

『セーラームーン』は、

女性ヒーローのパイオニアであり、

テレビアニメでは、

時代劇や特撮ヒーローっぽい

前口上・見得きり・お色気描写が

混在して描かれ、

昭和・平成の狭間作品の典型例ともいえる。

昭和感が漂うヒーロー像は、

以後の『プリキュア』シリーズにも引き継がれ、

王道的ヒーローのプロットは、

女の子向け作品に継承されてるのかもしれない。

 

’90年代はミニ四駆第二次ブーム、

作品では『レッツ&ゴー』が

メディアミックスで展開されている。

『山田玲司のヤングサンデー』では、

『遊戯王』『ポケモン』など、

自分に代わって何かが戦ってくれる

「代理戦争」的な作品の流行に

言及されているが、

『レッツ&ゴー』もいわばそれに

近いともいえる(?)

かつ、モノづくり・クルマの要素があり、

これもまた昭和・平成の狭間にあるといえる。

 

なんてことを思った上で、

なおかつ私見として思っているのが、

これら’90年代作品の複雑な様相が、

生きていく上での大事なヒントを

提示しているのではないか?

などという、思い出補正ありきの暴論である。

 

白黒はっきりしない中でも

向き合い続け、考え続けること、

「昭和っぽい」と言わながら

大事にされ続けている「何か」、

「モノづくり大国」の終焉と言われつつ、

手に触れる、手入れする、

ひいては体感・体験することの大切さなどが

込められているような気がしている。

 

これからは、

ミニ四駆をいじりながら、

特撮ヒーローの視聴に

勤しみたいと思う、

今日この頃。