漫画それゆけ昔ばなしーず。「坂本龍馬の巻」[十五] | おっさんイラストレーターの哀愁

漫画それゆけ昔ばなしーず。「坂本龍馬の巻」[十五]

おっさんイラストレーターの哀愁-15坂本龍馬
毎日小学生新聞5月7日(金)掲載

まあちゅーことでェ坂本龍馬と見回り組は将棋友達やったってかァ~い
これは歴史上の事実なんですぞォ!!
ウソやと思たら知らべてね~


京都見廻組(きょうとみまわりぐみ)は、江戸時代末期(幕末期)に幕臣によって結成された、京都治安維持の組織。
元治元年(1864年)、江戸幕府は京都守護職で会津藩主の松平容保の配下として、蒔田廣孝と松平康正を京都見廻役に任命した。幕臣(旗本御家人)を配下として組織された。蒔田・松平がそれぞれに配下の組を持ち、それぞれの官職名から相模守組(蒔田)と出雲守組(松平)と称され、各200名ほどの隊士を指揮した。詰所は二条城の側に置かれたとされる。見廻組は新選組と共に、反幕府勢力を専門に取り締まった。主に御所、二条城周辺の官庁街を管轄とし、新撰組は祇園や三条などの町人町、歓楽街を管轄とした。そのためか、新選組と共同戦線をとることはあまり無かったらしい。
大政奉還後、新遊撃隊に名称変更される。
相模組与頭の佐々木只三郎をはじめ、渡辺吉太郎、高橋安二郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎らが坂本龍馬の暗殺に関与したとされる(近江屋事件)。

蒔田 広孝(まいた ひろたか)は、江戸時代後期の大名。備中浅尾藩主。維新後は子爵。
嘉永2年(1849年)2月4日、幕府御書院番の蒔田広袢の長男として生まれる。安政4年(1857年)5月に、旗本(寄合 7700石) 蒔田広運の養子となり、安政5年(1858年)8月に家督を継いだ。
文久3年(1863年)11月、江戸市中警護の功により、高直しによって1万石となって大名となった。元治元年(1864年)の蛤御門の変においては京都見廻役として長州藩撃退に活躍するなど、佐幕派として行動している。
しかし、このときの恨みにより慶応2年(1866年)4月12日、第二奇兵隊を脱走した立石孫一郎ら、長州浪士100余名により、浅尾陣屋は倉敷代官所と共に襲撃され灰燼に帰した(浅尾騒動)。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に与して岡山藩と行動を共にしている。
明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官され、東京へ移った。明治17年(1884年)、子爵。明治30年(1897年)、第3代浅尾村長、明治41年(1908年)5月には初代総社町長となる。大正7年(1918年)3月24日に死去。享年70。


この漫画が面白かった方!!面白かったらお駄賃として↓↓↓クリック!!タノンマッセー!!!!!
ワシのホームページも見てね漫画も沢山載せてます!!
にほんブログ村 漫画ブログ 4コマ漫画へ

おっさんイラストレーターの哀愁-バナー