香港の続きというか、番外編です。


中環(セントラル)は香港のオフィス街であり、一番街。高層ビルが立ち並び、ブランドショップが軒を連ねている。

お昼時にはそれらのビル群から人々が吐き出されるように絶え間なく流れ、忙しい仕事の合間に一息ついているのか楽しげな会話がこだましている。

そんな都会な香港である。


香港は、アジアの金融センターを自負しているだけあって、実に多種多様な人びとが暮らしている。

広東人しかり、日本人、イギリス人、ドイツ人…。

彼ら(彼女ら)は、仕事があって香港に来ているわけで、自らの身一つ以外には、(家庭を持っている人を除いて)たいして何か持ってきているものはないだろう。

にしても、四六時中、ずっと仕事をしているわけでもあるまいし、マーケットが閉じる時間というものは当然あるわけだし、休みの日はまったくのプライベートな時間というわけだ。

そんなとき、香港生活をより豊かなものにするものといえばやっぱり人間関係だと思う。

当然、香港に地縁のない人びとが大半の彼らには、日頃の仕事付き合いをしている人たちがそれらの中核を成すことが大半だと思うのだが、それについて思うことがあった。


香港の人たちに限らず、どこでも社会人暮らしをしている人たちには、友人やパートナー、もしくは家族関係までもが彼らの勤め先を基盤として成り立っていることが多々ある。

そういったこと関係を築く、もしくは働きかけることで仲間としてのグルーヴ感を得ることが出来るのだと思う。


それを好むか好まざるかに関わらず、そのきっかけを作ることは非常に重要なのではないか、と。


香港では、そういった連中を勤め人の中に多く見ることができたような気がする。


日本人は「自分の周囲で自分をさらけ出すのはみっともない」という考え方が多くなってきたような気がして、少し寂しい。

周りにいつも言葉が通じる、自分の気持ちを汲んでくれる人がいればそれで良いのだけれど…。


そういう環境にいないときには、自分を壊して素になって接することが大事なのかなと思った。



一人、そんなに遠くないけど見知らぬ土地に居るものとしては。

昨日、ある女の子が僕に云った。
「男って本当何考えてるのか解らない、女の子なんてすごく単純なのに」
僕はその発言を男女逆にして彼女に返そうと思った。
「男だって単純だよ…、だってやりたいだけだし、マリア様にされるように包んで欲しいだけだし。それに比べて女の子は…、」
と云いかけてふと考えた。
男も女も、同じく単純なのではと。


要するに、ふれあいたい。心許せる人と。心が通じている人と。
自分をこの世に認めてもらいたい。自分が息をしていることを確かめたい。


とすれば、お互いがうまくやっていくにはシンプルさを求めれば良いのではないか。
素直に、尊重し、思いやって、接する。
いつも自然体でいれば良いことだ。


しかし、人間たるもの、この単純なルールを守ることは難しい。


いま、地球が温暖化しているのは、人間のエゴのせいだと云われる。
例えばそれと同じように、自然界のルールに従ってシンプルに生きていれば全てうまくいくはずなのに。
そしてそれは、もう何年も前の大昔からみんなが知っていることであるはずなのに。
必要以上に求めるものは、結局何も得られない。


けれど言葉では解っているつもりでも、それができない。
できないってことは、理解していないってことなんだ。
解らないから、自分のルールに従うしかない。自分の欲に。
すると結局、単純ではいられなくなるんだ。


そんな風に思って、
「男も女も複雑なんじゃない?」
と言霊に発したら、間が長すぎて既に会話が終わっていたのであった。

夕方頃、近々公開の映画「さくらん」のPRの為に「花魁道中」が練り歩くというのでしばしその現場付近をうろうろしていました。ひょっとしたら出演者が現れるかも…という情報を聞いていたので。けれど、待てども待てども誰も何にも来ないのでもういいや、会社に戻ろう…ととぼとぼ歩いていると、後ろからバンが2台、連なって近づいて来ました。これはもしや…と思い、そのバンを除いて見ると…土屋アンナさんが!!そう、このブログの背景の絵を描いているアンナちゃんです!赤信号で止まっている車の中を再度覗き見て確かめると、くるくるの金髪に顔を覆うような大きな黒いサングラス。まぎれもなく、アンナちゃんでした!車はこのあと試写会が行われる会場の方へと走り去って行きました。土屋アンナさん、いいよね。


ぼくがもう何年も見続けているTV番組の一つにNHKの「イタリア語会話」があります。数年前、彼女はその番組で、生徒役として出演していました。最初の印象は、「なんだこのやる気のない&生意気な生徒役は…」というものだったのですが(言葉遣いや振舞がかつて番組史上なかったほどに異端に思えた)、毎週見ているうち、逆にとても好感を持つようになっていきました。それは、一見して派手な外人風でも実は奥ゆかしかったり(それ故当初ジローラモをかなり警戒していた)、突飛な振舞をしていてもしっかりしていたり、と彼女の持つギャップがそう思わせていったのかもしれません。


それ以降、彼女のメディアへの露出は増え、より多くの人の目に映っています。


彼女のアクの強さは、僕が当初そうであったのと同様に、多くの人に不快感を与える場合もあるようです。

僕の周囲でも、好きか嫌いか、はっきり別れています。

それだけ、彼女の存在の強さが際立っていることなのでしょう。

平均しているよりも、ずっと人間らしい。

その辺が好感を持てるところなのだと思います。



さて、その後、映画「さくらん」を観ました。

原作が好きなのでギャップを見つけちゃって引くかもしれないな、とは思いましたが、アンナちゃん出演ということで観てしまいました。最初聞いたときは、きよ葉と土屋アンナはイメージ違うな…と思ったのですが、それも含めて、良くも悪くも蜷川先生の世界なのかな、って感じです。あのジャパニーズトラディショナルポップとでも云うような。このポップ、ってのが安野先生と少し違うような…。やっぱり原作を先に読んでると違和感を感じてしまう。いろいろ述べたいけどネタバレになりそうなのでやめます。