推恵(すいけい)神社 怨霊鎮めの社

日御碕神社の境外末社

祭神 尊俊道(たかとしじ)命 清操辺(すがみさべ)命

 

祭神の尊俊道(たかとしじ)命は日御碕の小野検校尊俊

   清操辺(すがみさべ)命は妻

 

松江藩主・松平綱隆(二代目)が美ぼうの小野夫人を見初め 側室になるようにと工作したが、

もちろん夫人は聞かず、ついに綱隆は藩主の権力で小野検校尊俊を罪に陥れ、延宝元年(1673)隠岐に流罪とした。 

検校は島流し五年後に隠岐海士町で憤死、美ぼうの夫人も自害した。 

以来、松江藩では不吉な出来事が続いた。 人々は、検校のたたりだと恐れた。

 

検校の死から半世紀ほど後の六代目の宗衍のころ、享保十九年(1734)藩主、松平宣維は、

尊俊慰霊のために隠岐海士郡(海士町)・島根郡市成(松江市)そして日御碕(出雲市)の

三所に社を建て、検校を祀る神社を建立した。

社号標台座の りす二匹と葡萄の彫刻

苔むした境内

社務所

来待石燈籠     基壇の亀二匹

手水舎

きつね、狛犬、きつね

狛犬は阿吽逆の並び

玉を噛むきつね阿

丸台座に乗る丸尾狛犬 享和十八年(1733)の狛犬を

昭和五十九年に再建

来待石製きつね 丸尾狛犬と同じく享保年間のものとみられます。

台座全面に三つ葉葵の紋

拝殿

 

 

寛政元年(1789)推恵大明神の号を与えられました。

桁隠しにカニ?片方のみです。

賽銭箱にも三つ葉葵

境内社

稲荷社?

本殿

本殿

怨霊神社だけに一人では参拝しづらい雰囲気