神田神社 尾道名工の被爆座型 広島市宇品

 元は安芸武田氏が甲斐から勧請した神社で,現在の広島市東区牛田に

 神社がありました。

 今でも牛田地区には神田山、神田橋の名が残されています。

 

 武田氏が滅びた後も、毛利輝元により再建されました。

 福島正則により社領を没収され荒廃していきますが、なんとか村民によって

維持されました。

 

明治二十二年神社は陸軍用地となり、当時埋め立て地だったこの地へ移転しました。

 

鳥居前の狛犬

四国香川風?

昭和三十二年

広島の石鹸会社の奉納

 

 

奥の対

かなり痛んでいます。

恐らく原爆の際、台座から落ちたものと思われます。

 

文政十三年(1830)天保元年になります。

阿形の補修は酷い

山根屋にも似てます。

天保十四年(1843)福山小烏神社の対 花崗岩製です。

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尾道の名の有る石工の作でしょう。

拝殿

竿の細い秀麗な燈籠 寛政元年(1789)

コンクリ製拝殿

扁額

 

 

本殿は全く見えません