地頭八幡神社 広島県世羅郡世羅町大字宇津戸
忠魂碑
地頭八幡神社には永享12年(1440)再建の棟札を最古に天正12年(1584)寛永8年(1631)
承応年間(1652~1655、天和2年(1682)などの棟札が伝えられている。
現在は大田庄歴史館に寄託されている。
永享12年銘は長さ1.04m、幅11.2cm。
天正12年のものは、銘文の中に毛利元就の末息子である毛利元総(のちの小早川秀包)の名が「大江朝臣元総」として記されており、このことから戦国時代にこの地域が毛利氏の勢力下にあったことが分かる。
旧石見路(赤名越)の西側に鎮座し、北方約七〇〇メートルの山麓に領家八幡神社が鎮座。
祭神は応神天皇。旧村社。もとは領家八幡神社と一社であったが海裹庄が延慶二年(1309)に下地中分されたとき分祀したという。「御調郡誌」に元和九年(1623)再建とある。
もと古い棟札があったというが現在は不明で、現存する棟札の最古は永享一二年(1440)八月一三日の三興のときのもので、元亨二年(1322)に本地仏が垂迹、その後二度再建したとある。
神社の看板は読めなくなってます。
絵馬殿
大山神社 地頭八幡神社 境内社
本殿前は秀逸な明治玉乗り
シンプルで良い姿
尾道石工 宮永助四郎の作 明治二十五年(1892)
宮永助四郎は明治期の尾道石工の代表格の石工
本殿
見事な細工
大山神社
内社