吉祥山 遍照寺 多聞院
御本尊 毘沙門天王
当山は詳しくは、金剛吉祥如意宝珠山光明遍照寺多聞天王院と呼び、本尊は後白河法皇御勅作の毘沙門天王である。
治承年間(1180年頃)高倉上皇厳島御幸の際にたづさえて来られ、安芸郡隠渡の浦畑村に多聞堂を建立奉安されたのが始めである。続く天文年間に高田郡吉田庄に移され、天正一八年には三滝山麓(今の新庄辺)に移された。
更に十四年後の慶長九年(1604年)福島氏の時に現在の地、東南に緑の山(比治山)がおおい、西北に清流京橋川を望むこの清浄の地に移築されて今日迄四百年を経ている。
福島正則公は特に当山第一世俊恵法師に国中の安泰祈願を懇請し、伝来の大師御真筆の金胎両界大曼茶羅を寄進し、今にこれを伝える。
昭和四十一年に、虚空蔵菩薩を本尊とする大本堂が再建され、平成九年には毘沙門天本堂の再建立をみて本尊を奉安、共に福徳智恵円満成就の佛として祈願がなされている。
鐘楼
原爆の爆風により瓦が全部落下した多聞院本堂には、昭和二十年(1945)8月6日夕刻、
倒壊・全焼した県庁に替わり県防空本部が置かれました。
翌日、県庁は東警察署に移りましたが、同院は救援物資の受付や、比治山に逃げてきた多数の被爆者などに握り飯の配給を行いました。
爆風で梁を破損した鐘楼は、現在もそのまま保存されています。
鐘は戦時中の金属供出で失われていましたが、昭和二十四年(1949)に「平和の鐘」が作られ、破損したままの天井を保存した鐘楼に釣られました。
十三塔は奇跡的に原爆による破壊を免れました。
水子地蔵尊
寅像
延命地蔵尊