上下亀山八幡神社 参道石段~境内 

広島県府中市上下町

 

猿顔な玉乗り

個性的な顔

昭和九年 石工 安藤克市

 

 

台輪鳥居 石段

尾道石工初期の座型風

 

 

明治二十八年(1895)

石段

由緒

御由緒
正和年間旧丹下城主斉藤美作守相州鶴ヶ岡八幡宮を城内に歓請し、その後正中二年(1325)往古より当地亀山(神山)に鎮座する高靇神社に遷座される。

同年本郷大宮八幡宮の分霊をる併せて合祀する。
明治二十七年火災にて神殿焼失。明治四十二年宇佐八幡宮の神霊を奉戴す。

昭和三年郷社に昇格する。
万葉集巻十に「つまこもる矢野のかみ山露霜に句ひそめたり散らまくをしも」とあるがこれは

万葉の歌人柿本人麻呂が石見国に赴く時に当社の紅葉を賞賛し詠んだ歌と古来伝えられている。

 

元禄十三年(千七百)上下は天領地となり代官出張所が置かれ石見大森銀山で

採掘された銀の中継地として宿場町になった。
やがて幕府役人の力を背景に金融業が興り「上下銀」と呼ばれる莫大な富を産み隆盛を極めた。

 

八幡宮も甲奴神石、安那(旧 深安郡)三郡天領地の総社として崇められ石灯籠・唐獅子等の石造物は特に数が多く場所の高さを考えると往時の苦労が偲ばれる。

又祖霊社の規模雄大さは県下でも希である。
                               上下亀山神社の説明板より
 

石段 150段くらいだったか?

石段途中 十里堂荒神社

 

十里堂荒神社からの展望

さらに石段 緩やかになる。

絵馬堂の石垣が城郭みたい。

境内 祖霊社

龍の手水

 

絵馬殿

 

拝殿