吉川興経墓所 広島市安佐北区上深川町

     上深川駅のすぐそばです。

豊島(手島)兄弟の墓

豊島(手島)兄弟は吉川興経の家臣で、天文19年(1550年)蟄居していた吉川興経が毛利元就の命を受けた熊谷信直、天野隆重によって襲撃されたさいに奮闘したが、討死あるいは自刃して果てたという。

                        駐車場の片隅です。

興経は吉川家当主でしたが、大内、尼子間で去就が定まらず家中は混乱します。

興経の器量を疑問視した叔父・経世ら吉川家宿老は興経の排除を決め、元春を養子縁組しました。 

天文十九年(1550)興経は強制的に隠居させられ、妻子と共に毛利氏領内の(今の広島市上深川町)安芸深川に幽閉されました。 

 

同年9月、元就は「謀反の疑いあり」として興経粛清を決意し、隠居館を熊谷信直・天野隆重らに急襲させ興経と嫡男・千法師を殺害しその血脈を断ちました。

                   ここの右手あたりに隠居館がありました。

                       隠居館跡(墓所)入口

 

                            腹切石

                            墓所

 

               墓石や墓標は無く石が積まれています。

 

吉川元春は余程後ろめたかったのか、

北広島町の龍山神社の拝殿横に立派な社を建て興経を祀っています

 

龍山神社

正和二年(1313)吉川氏が大朝本庄地頭として入封のおり、駿河国吉川村(現静岡県清水市)から勧請した神社で現在の本殿は、1558(永禄元)年吉川元春が再建したものです。

龍山神社拝殿横は吉川興経を祀る光大明神社

                      左が吉川興経を祀る光大明神社

イメージ 2