吉川元春館跡広島県山県郡北広島町海応寺
吉川元春が志路原川の河岸段丘上に築隠居所として建設した館ですが、西暦1600年に吉川氏が岩国に移ってからは廃墟となっていました。
吉川氏城館跡として国の史跡に指定される9遺跡の中のひとつであり、広島県教育委員会による発掘調査の後、小倉山城跡、万徳院跡とともに歴史公園として整備され一般公開されています。
高さ約3mの巨大な石垣が約80mに渡って続き、石垣の内側には発掘された多くの建物の礎石が並ぶ。
場内には復元された中世の台所や庭園がある。
館跡の奥、林の中には吉川元春・元長の墓所があります。
石切場 石垣のすぐ横です。
石垣
この石垣だけでも見に来る価値があります。
長さ80m高さ3m中央に2.6mの門があり巨石が用いられ積み方も等間隔で石を縦に用い他は
横積みにする等石垣職人の工夫が加えられています。
現在は台所のみ復元
歴史館の模型
台所
全景
墓所に続く道
吉川元春墓所
豊臣秀吉の要請を断り切れず、小早川隆景、黒田官兵衛らと九州征伐に参加
癰(よう)(腫れ物、細菌感染症の一種)を患い体調不良の元春でしたが
天正十四年(1586)11月15日、出征先の小倉上二の丸で死去しました。享年57歳。
吉川元春館の完成を見ることは出来ませんでした。
樹木葬
前駿河太守四品 元 まで見えます。
頻繁に訪れるのは猪のみ
隣接する戦国の庭 歴史館
歴史館の展示
カワウソとか鶴とかが御馳走だったらしいです。
吉川元春館 模型
元春にはここで穏やかに余生を送って
欲しかったです。






























