狩留家本陣~吉川興経墓所 
狩留家本陣(割庄屋)屋敷
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天文十六年(1547)吉川氏の家臣団は興経に対する不信感から元就の次男元春を養子に迎えて吉川氏の家督を継がせました。
天文十九年(1550)興経は強制的に隠居させられ、妻子と共に安芸深川に幽閉されました。
元就は興経粛清を決意し同年9月、隠居館を熊谷信直・
天野隆重らに急襲させました。

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豊島(手島)兄弟は吉川興経の家臣で、天文19年(1550年)蟄居していた吉川興経が毛利元就の命を受けた熊谷信直、天野隆重によって襲撃されたさいに奮闘したが、討死あるいは自刃して果てたという。駐車場の片隅です
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草ぼうぼうでどの石か不明
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墓所
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周りは民家で大きく写せません
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鍵してるので格子越しから
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お借り画像
吉川元春は余程後ろめたかったのか、北広島町の龍山神社の拝殿横に立派な社を建て興経を祀っています
龍山神社
正和二年(1313)吉川氏が大朝本庄地頭として入封のおり、駿河国吉川村(現静岡県清水市)から勧請した神社で現在の本殿は、1558(永禄元)年吉川元春が再建したものです。