志駄岸神社(しだぎしじんじや)
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周防国の鎮守として七七二年、屋代の徳珍に宇佐八幡宮を勧請して建てられた朝字は洪水で流出し、
一二八二年現在地の小松山に再建され、志駄岸八幡宮と称し、椋野郷から戸田郷までを氏子として鎮守して、明治初年、政令により、恋駄岸神社と改称。
 
一九五二年宗教法人に組織変更をした社有地は一万六千平方メートル(約五千坪)

神殿は三殿五社で、祭神として、応神天皇・仲哀天
皇・神功皇后・天照皇大神及び海上神として
住吉三神・産土神として天児屋根之命を合祀している。
例大祭は四月三日・風鎮祭は九月一日・他、由緒祭・祈年祭・新嘗祭は恒例日に斎行される。
現在の社殿は一八九〇年に改築され、江戸時代の神社様式に権現造りを加えた豪葦な工匠を見ることができる。
又、同時に寄進された、胴廻り、三・五メートルの大太鼓は、九州島原城の天守閣で使用されていた由緒深いもので、その音量・音韻は今も昔と変わらないようである.
石造のうち、中、一〇五石段 下、一七石段は夫夫、福元長右衛門氏・永田幸一氏の一建立であるが、
二面の大灯龍は塩田・御開作によって一段と繁昌した商工海運業者が、一八四〇年~四六年に寄進した物で、大阪・九州等島外一八名を含む一四七名の問屋名が刻銘されており、夜間には高く灯火を掲げて塩田越の海路標識に役立てた。
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鳥居前の大きな対
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       明治二十八年(奉納)
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    おじさん達が注連縄の取替え中
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    寛永十四年(1637)の古い鳥居
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大御輿(おおみこし)通行のために柱脚を出して
高くしたという  本来なら地面に埋まるはずの
四角柱の部分が露出しています。
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狛犬めちゃ古そうです 
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下関の名工の200年物
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享和三年(1803)   石工 下関 有光十兵衛
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       105段だったっけ 
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         石段下の摂社
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途中の・・
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         やっと到着
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         拝殿前よりの展望
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ここの拝殿本殿も凄いです 長くなるので次回