高林坊
隣の春日神社
高い木にはさまれた参道と木の鳥居


真新しい拝殿

横から拝殿、本殿

高林坊
高林坊は明応五年(1496)上甲立石丸屋敷に僧浄誓が開基して
その後4代西願が慶長年間に現在地に移転しています。
その規模は宏壮で寺観園林ともに整備されていて庭は宏大で築造の妙を極めた名園と謂われています。
「安芸の大本山」ともいわれ浄土真宗の木造本堂では広島県下一の大きさです。
立派な山門 電線が・・・

城郭を思わせる石垣

山門下

山門下から五龍城址を望む

山門の彫刻 対の龍 下には兎の彫刻

山門からの本堂 老松が見事
本堂の前に石灯籠が2基立っています。
竿が銅張りになっている珍しいものです。
基礎の部分には格狭間もあり、基壇も2段あり立派な石灯籠です。

山門を入り左側
石灯篭の対と奥に無量寿堂が見える。

右、鐘堂

庫裏前より本堂

本堂近影
矢印の位置に梵鐘があります。

梵鐘の話
明徳二年(1391)鋳鐘の工匠又二郎の作とされています。
豊後の国朝見の郷乙原山吉祥寺の什物でしたがのちに芸州は佐西郡宿章山栖雲院および、宮島の大願寺に移され、時を経て五龍城の陣鐘として長く使われていました。
宍戸氏が防長に移封されたとき高林坊に寄進されました
『藝藩通志』では「宍戸氏陣鐘に用い後当寺に寄付す。」とあります。
この梵鐘(広島県指定重要文化財)には
毛利元就の嫡男毛利隆元は出雲尼子攻略の援助に向かう途中、
和智氏の招きに応じて饗宴を受けた後、高宮町佐々部の陣所で、
体の様態が急変し急死。
和智誠春の毒殺と噂され、後年元就は、四国遠征にあった和智誠春を宮島に呼び出し、弟の久豊らとともに厳島神社に監禁します。
和知兄弟は脱走をはかり、神社本殿に立て篭もり抵抗するも、
和智兄弟は殺害されます
厳島で起こったこの一連の事件が最近までよく分からず没年も
確定していなかったそうです
この「梵鐘」にその日付が刻み込まれていたそうです。

梵鐘は二つあります
左側(庫裏側)

右側(無量寿堂側)
どちらも字が見えません
向拝、木鼻 象阿形いや獏かも 手挟(たばさみ)↓

反対から 手挟(たばさみ)の凝った彫刻

木鼻 獏かな~吽形UP
象は耳が寝てたような気がします。

木鼻 象阿形と正面は獅子(虎かも)

正面には両端の獅子のほか中に麒麟の対がいます。

龍の顔に馬の蹄
麒麟吽形 麒麟阿形


紋付きの戸

上に花菱
丸に鶴 五・七桐 十六菊 ?中に花菱

側面でさえこの斗栱(ときょう)の数。海老虹梁も

本堂左の無量寿堂

無量寿堂から本堂

本堂裏に廻って見る

いしつきの者ども風の大きな石を配した石垣

屋根

慶長の庭と呼ばれる寺の庭は、安土桃山時代様式を今日に伝える
見事なもので、池庭のまわりに樹木を巧みに配した名園です

鐘堂
斗栱(ときょう)の数がすごい

内部の彫刻も凝っています

鐘堂内から本堂を見る

本堂

向拝、木鼻 梵鐘
日曜でしたが誰もいませんでした。
庫裏のほうも人の気配なし
本堂内も見たかったのですが・・