安芸木村城
 
の歴史は古く、正嘉二年(1258)に沼田小早川茂平の四男・政景が都宇竹原荘を
与えられこの城を拠点に竹原小早川家を開きました。
 
竹原小早川家は次第に勢力を広げ、延文年間(1356~1361)には三津三浦(現在の
安芸津三津・風早・木谷)を獲得し、九代・弘景の代には安浦、音戸など内海の航路の要衝を押さえ、大崎島を拠点に大陸との交易にも参加しました。
 
その所領は安芸国内海沿岸の東半を占めるほどでした。
 
嘉吉元年(1441)に十代・盛景は小早川家の惣領職になり、沼田小早川家と同格に
なりました。
 
安芸国に細川氏や大内氏が勢力を伸ばしてくると沼田小早川家は細川方に
竹原小早川家は大内方に付きました。
 
長禄元年(1457)には西条の領有をめぐり竹原小早川家は細川方の鏡山城を攻め
沼田小早川家は木村城をせめました。
 
十一代・弘景は応仁の乱で西軍山名方に付き、二度に渡り、沼田小早川家の本城
高山城を包囲攻撃し、文明九年(1477)には本家の所領を割譲させています。
 
天文十三年(1544)十三代・興景が佐東銀山城の戦いで病死すると毛利家から
三男・徳寿丸(のちの隆景)を養子に迎えました。
 
天文十九年(1550)隆景は沼田本家繁平の養子となり、小早川家は統一され
翌、天文二十年木村城を出て、高山城に移りました。
 
 
木村城  手島屋敷前から
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   木村城説明板
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  縄張図
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登城路は整備されています。        イメージ 15地蔵。この先には墓があります。
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畝状竪堀??
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   馬返しの段
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  南に道のような細い郭があります。
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馬返しの段から兵糧の段に上がる道
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途中、石組があります。
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斜面を登りきった所から兵糧の段、井戸の段を見上げる。
各段はかなりの高低差があります。
小さい井戸があります。
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兵糧の段に上がりました。
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若宮社跡
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若宮社裏、城北端からの展望
 
兵糧の段の南端
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   兵糧の段を振り返る。
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井戸の段 7~8M
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   井戸の段   東側から 
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                                                                            井戸 深さ6Mあります
     綺麗な石組みです。
    
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    井戸の段の奥に8M位の高さの郭があります。
   本丸はさらにその上7Mの高さです。
   奥二つの郭は帯郭で囲われています。
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    本丸
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        1.94M