黒沢健一さんがアマチュア時代に組んでいたバンド「THE RAGIEES(ラギーズ)」の活動記録を、過去のインタビューや関係者さまの証言を元に作成してみました。
インタビューによって証言内容が異なる所もあるため、事実と異なる点も含まれていると思います。

【1987年】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ソニーと岡井大二の間で健一の取り合いとなるが、健一は作曲家契約を提示してきたソニーを選ぶ。

3月
高校を卒業し上京。
これに伴い、日立時代のラギーズは活動終了。
健一は東京で作曲家活動をスタート。

8月
「19Aug. 1987」「Rainin' In My Heart」収録のデモテープが制作される。

【1988年】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日立からラギーズのギター(ベースに転向)とドラムが上京し、健一と合流。
関係者の紹介で新たなギターが加入し、東京時代のラギーズが始動。

7月
島田奈美にHE LOVES HER」を提供し、若干19才で作曲家デビュー。

秋~冬頃
ギター脱退のため、高校3年生の秀樹が正式にバンドに加入。
秀樹はまだ日立に住んでいたが、土日に上京しライブに参加していた。

この年に「45's Love Song」収録のデモテープが制作される。

【1989年】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
3月
高校を卒業した秀樹が専門学校へ通うため上京し、三鷹のアパートで健一と一緒に住み始める。

高円寺や吉祥寺でライブ活動を行う。
「MAYBE BABY」「I LOVE TO JAM」「DAYS」「45's Love Song」などを中心に演奏していた様子。

この頃、同じくバンド活動をしていた木下裕晴と出会う。

7月
南野陽子「それは夏の午後」を作曲・提供。

9月
MZA有明で行われた四人囃子のライブを見に行った事がきっかけとなり、再び岡井大二との付き合いが始まる。

12月頃
木下と黒沢兄弟が初めてスタジオでセッションをする。
スタジオ(渋谷ペンタ)は木下自らブッキング。

バンドからベースとドラムが脱退。
メンバーは黒沢兄弟のみとなり、ラギーズは事実上の解散。

12月末
健一自ら、ソニーとの作曲家契約を切る。

岡井大二の要求により、黒沢兄弟・木下の3人でデモテープ制作を始める。
収録曲は、「LAZY GIRL」「BYE BYE POPSICLE」「LOVE IS REAL?」など。

【1990年】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
4月
完成したデモテープを岡井大二に渡す。

木下が外資保険会社に就職。

10月頃
岡井大二から、デモテープの第二弾の制作を要求される。

木下がテニス中に足を骨折。
会社に行けない木下を黒沢兄弟宅に監禁し、デモテープ第二弾を制作する。
収録曲は「LOVE IS REAL?」など。

12月末
完成したデモテープが、ポリスターの牧村憲一氏に認められ、メジャーデビューが決定。