今年なす🍆はたくさん獲れたけど
トマト🍅とピーマン🫑は不作でしたね![]()
こーんな雑草を抜いて
耕して土と肥料を足して秋の
野菜達の準備![]()
新しい種や肥料を買いに行く途中にあるこちらへ行ってきました![]()
回遊館
UFOキャッチャーの専門店です♪
前から気になっていたので初めて行ってきました![]()
食料品や飲料水など
いろいろあって楽しい〜![]()
2人で1000円と決めていざ入場![]()
日曜日なので店内はたくさんのお客様で賑やかです![]()
びっくりしたのは大きなカート🛒にいっぱいの景品のお客様がいっぱい![]()
とりあえずチャレンジしました![]()
無料の練習機があったので練習![]()
相方はなんと1回で景品ゲット!
私は2回でゲット!
そのあと相方はたまご2パックゲット![]()
私は全くダメでした![]()
藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、今から約1300年前、持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都、藤原京(694~710)の中心にあった宮殿・藤原宮のあったところです。
藤原宮にはかつて、一辺約1キロメートルの中に大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていました。藤原京が都であった期間は694年~710年の16年間ですが、その大きさは後の平城京や平安京を上回る規模ともいわれており、藤原京の構造はその後の都にも引き継がれていきます。
藤原宮跡は昭和27年に国の特別史跡に指定されており、また藤原宮跡が構成資産のひとつである「飛鳥・藤原の宮都」は、人類史上でも価値の高い文化遺産として、令和8年世界遺産に登録されました。
藤原京跡から見える畝傍山
そして耳成山
そして香具山
大和三山です![]()
大和三山(やまとさんざん)とは、橿原市に位置する香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)の三山をいいます。平成17年に名勝指定されました。そして、大和三山に囲まれるように、日本で初めての本格的な都であった藤原京の藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)があります。
万葉集では、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が大和三山の争いを詠んだ有名な歌が残されています。
「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻を あらそふらしき」
大和三山の自然は美しく、ウォーキングや眺望を楽しむ人がたくさん訪れます。
そして藤原京跡は季節の花が咲く頃が見頃です♪
春は桜🌸と菜の花
秋は秋桜![]()
秋桜は絶景ですよ![]()
そして更に走ります
本薬師寺跡
天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈って建立した寺院です。
南から中門、金堂、講堂が一直線に並び、金堂の前面には東西に二つの塔(東塔・西塔)が置かれる双塔式の伽藍配置で、これは新羅との交流を示しています。
藤原京から平城京に遷るとともに薬師寺も移されたため、後に平城京薬師寺と区別するため本薬師寺と呼ばれ、今日もその名で親しまれています。
そして更に走ってこちら
大官大寺は飛鳥・藤原地域で建立された古代寺院の中では最大の寺院ですが、現在は、香具山の南麓に広がる水田の中に碑(ひ)が建ち、その位置が分かるのみです。明日香村小山(こやま)および橿原市南浦町(みなみうらちょう)にありますが、伽藍(がらん)のほとんどは明日香村にあります。
大官大寺は、舒明天皇(じょめいてんのう)が発願した百済大寺(くだらのおおでら)を天武天皇(てんむてんのう)の時代に移築・改称されたとされています。しかし、出土遺物から見る限りでは、主要伽藍は全て藤原宮が営まれた時期でも後期に造られたことが明らかで、文武天皇(もんむてんのう)の時期に金堂(こんどう)を創建(そうけん)したと記す『扶桑略記(ふそうりゃっき)』の記述を裏付けています。
伽藍配置は、中門(ちゅうもん)・金堂・講堂(こうどう)が一直線上に南北に並び、金堂の南東に塔を配置する形態です。寺域(じいき)は東西約205メートル、南北約354メートルで、藤原京左京九条四坊の南半と藤原京左京十条四坊の全域におよびます。建物も非常に大規模で、金堂と講堂は同一規模・同一構造で、正面が約45メートルもあり、藤原宮大極殿(ふじわらきゅうだいごくでん)と並ぶものでした。また塔は、基壇(きだん)が一辺約35メートル、塔は一辺15メートルで、九重塔にふさわしい規模を誇ります。塔の高さは分かりませんが、平面規模が近い東大寺東塔は高さ33丈6尺7寸(約100メートル)でしたから、大官大寺の塔もこれに近い高さだったのでしょう。大官大寺の塔は、現在、日本で最も高い京都の東寺(とうじ)にある五重塔よりもはるかに高かったのです。
なお、大官大寺は金堂→講堂→塔→中門・回廊の順で造営されましたが、その完成を待たず、西暦711年(和銅4年)に火災によって焼失した事が『扶桑略記』に記されています。発掘調査では、金堂と中門の垂木(たるき)が焼け落ちて地面に突き刺さった後も燃えていたことがわかり、火災のすさまじさを私達に伝えてくれています。
7キロちょっと移動しました![]()
藤原京跡は
春か秋がいいかなぁと思います![]()
藤原京跡から橿原神宮そして
神武天皇陵もいいですね![]()
日本のはじまりを感じる飛鳥藤原宮都に来てみてくださいね♪
では今日も生きている事に感謝
お疲れ様です![]()














