父からの応援?…いや刷り込みかも(笑) | 53歳で逝ってしまった夫へ

53歳で逝ってしまった夫へ

人生の相棒でパートナーだった夫が53歳で逝ってしまいました。
子供のいない私達でしたが、山の中で出逢った猫が18年10ヵ月半、私達に家族として寄り添ってくれました。
夫の事も、愛猫の事も、忘れたくなくて、手探りですが、書いておきたいと思った事を綴ろうと思います。

実家へ帰省して来ました

今年2回目の帰省

私としては珍しいです( ´∀` )

 

先日

母が米寿を迎えました

 

2018年に

大動脈解離で緊急搬送されましたが

手術・入院を経て

歳を重ねてくれています

 

母・姉夫婦・私の4人で

食事会と言うほど大げさではないけれど

ホテルでランチを頂いてきました

 

数ヶ月前から

予定を立てての帰省だったので

母も楽しみにしてくれていたようで

私の部屋の掃除もしてくれていました

 

私の部屋…

長らく物置部屋になっていたのです

 

18歳で一人暮らしを始めて

家を出てしまったら

羽を伸ばすようになりまして

 

独身時代に帰省したのは

学生時代は夏休みと年末年始

社会人になってからは年末年始だけ

(金融系だったのでカレンダー通りの勤務体系だった)

(↑交代制の夏休みは旅行とかしてたし)

 

関東圏内に居たし

帰ろうと思えば

いつでも帰れるとも思っていたところもあったので(^^;

 

結婚してからは

距離もあったけど

帰りづらくなったんですよね

 

本家の嫁=無料の労働・奉仕がやたらと多くて

お盆やお正月は居て当り前でしたから

 

祖父の新盆の年は帰らせてもらいましたが

夫の叔父・叔母達には

事前に暑中お見舞いのハガキを出して

「新盆で帰省するのでお会いできませんが~云々」と

一筆書いたっけ…

 

あ、話が逸れそう💦

このネタ書き始めたら延々だな(;^_^A

 

ほとんど帰らない(帰れない)

たまに帰ったとしても2~3日程度

そうなると部屋は納戸化していくのです

 

ちなみに夫は

私の実家へは数えるほどしか来た事がありません

結婚前・結婚後あわせても数回です

(それもどうなの?と今でも思っている)

 

東日本大震災の後など

物理的な支援は積極的にしてくれたり

私が頻繁に電話で連絡を取る事等は容認してくれていましたが

でもそこまででしたね

 

私が帰省する事に

夫も良い顔はしませんでした

夫には一緒に行くという発想はありませんでしたから

自分が放っておかれるという状況なんです…

 

あー、また話が逸れてる(◎_◎;)

 

えーっと、つまり…

私の部屋が納戸のように使われていてですね

ベッドも物置になってまして

ちょこっと帰省した際には

姉の部屋を使わせてもらっていたんです

私の部屋は見て見ないフリです

 

姉の部屋は

まだ姉が自分の荷物を置いているようで

季節ごとに荷物を出し入れしているらしく

要は…人の出入りがある部屋なので

すぐ使える状態なんです

 

それが今回は

寝起きできる部屋になっていて(笑)

母に感謝ですね(^^)

 

ちゃんと部屋に入ったのは

〇十年ぶりだな…きっと凝視

 

そしたらですね

えぇぇっっっポーン



弥勒菩薩様が(写真だけど)いらっしゃる

いや、部屋にはずっとあったし

10代の頃は日々見てた訳だし

何の違和感も無いんだけど

すっかり忘れてました

 

私の部屋は

以前は父が使っていた部屋です

私が中学生になった頃だったかな

父が部屋を明け渡してくれました

 

その時には既に

あのお写真

あったんだよな…

 

今となっては

いつ・どうして

父が額に入れて飾ったのか

分かりませんが

 

一昨年

私はこんな事してるんですよね

 

 

世の中の行動自粛だけでなく

自分を見失って

動けなくなっていたけれど

 

少しずつ

自分自身を内観する事を繰り返して

少しずつで良いから

自分を取り戻そうともがいていた頃だった

 

思い立って行動してみる

それができた自分に

ビックリもしたけれど

 

自分を褒めてあげようと思えたり

行動できる自信がついた事も

大きな収穫だった

 

行き先に

弥勒菩薩像のある広隆寺を選んだのは

直感だったけど

記憶の底にあったからなのかな

 

だとしたら

父の仕業かなぁ

 

母から

御礼として渡された練り切り

地元の和菓子屋さんに頼んでおいてくれたそうです

もう初夏っぽいですね