49日 | モモ君とヘッポコ夫婦

モモ君とヘッポコ夫婦

たくさんの病気と戦った夫は2023年2月末に旅立ちました。
それからは、モモとちょこお、みかんが私を癒やしてくれています。そんな、お世話係とモモとちょこお、みかんと夫の思い出話です。

今日は、夫の49日です。

ずっと、遠出出来るほど

メンタル、体調が良くないので

法要は、私の体調、メンタルが安定

してから行います。

ご住職が

「まずは、自分の体調が大切。

法要はいつでも出来る。日にちは

気にしなくていい」と、言って下さり

いくらか気持ちは落ち着きつつ

あります。



亡くなった時、葬儀の時

初七日も悲しかったが

今日は

とても、悲しく、寂しいです。


お花屋さんで、49日用の

アレンジを作って貰いました。
夫が好きだった食べ物買ってきて

お供えした。


焼き鳥、好きだったなぁ。

よく仕事帰りにスーパーに寄り

買って来て食べていた。


思い出すのは、元気な頃の夫。

付き合っていた頃は、

色んな所に連れて行ってくれた。

お互いシフト制だったから

休みが同じ日、少なくてね。

それは、結婚してからもだが、

休みが一緒の時は、

ドライブ→お蕎麦がお決まり。

パニック障害で、遠出出来なかったし

外食出来なかったけど、

出来るようにしてくれた。

何人かの人と付き合ったが

「素の自分」を見せても

受け入れてくれて、一緒にいて

凄く安心出来る人。

それが夫。

夫は、どうだったんだろう?

「一緒に居たいと思った」とだけ

言ってたな。




あと

「お前は、お袋の性格にソックリだ。

1つ違うのは、俺の言う事を聞かない

時がある」って言ってた。

言う事聞かなかったのは

セミオーダーの

ウエディングドレスと

何回も「免許取れ」と

言われた事しか覚えてないな。


年明けに入院し

何度か危篤になった。

病院から呼出され行くたびに

意識状態が悪くなっていた。

いつだったか

意識がハッキリして、文字盤で

「もう、疲れた。

こんな俺でごめんな」って。

それが、私への最後の言葉。

その日以降は、ポヤ〜ンとしていて

文字盤も打てなくて。。。



あの日、私が到着する

ちょっと前に旅立ってしまった。

私が、うさおの命日に

「うさおが私の腕の中で

旅立った時の感覚が忘れられない」と

言っていたから、その瞬間に

立ち会わないようにしてくれたのだろう。

夫らしい。


夫、これから

モモとちょこおと、頑張るから

見守っていてね。











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