今日は第2回目
細かなノウハウは、いろいろありますが、なぜ、57歳から英会話をやろうかという気になったのかを書いてみたいと思います。
これまで、何回も挫折してきたので、今3年続いている英会話のレッスンは、このまま続けたいと思っています。
それじゃ、なぜ始めたか?それは、いくつかの要因があります。
1.マレーシアで特許審査官への日本語でのレクチャー
最初にマレーシアで100名を超える特許審査官相手に日本語で1週間ほどレクチャーしたことが始まりだと思います。その時とてもインスパイアーされました。1週間日本語でレクチャーし、その横で逐一インタープリータが、英語に翻訳してくれました。例えば「模倣」と言うと「イミテーション」と訳してくれます。なるほど、普段我々の仕事で「模倣」と言う言葉を使っていましたが、それが英語だと「イミテーション」になるのか。英語にすると、以外と簡単な言葉に変わるだけなんだなぁと思いました。
それと、たまに出る生徒からの質問が、思いの外純粋な(先生を試してやろう等と言うものがない)質問だったので、とても、意外でした。
ただ、後になって気がついたのですが、マレーシアは過去イギリスに統治された歴史が有り、学習については、日本のような講義を聴くだけのスタイルは、生徒にはあまり馴染みが無いようでした。というのも、月曜日から始まって、いよいよ一番難しい話しをする4日目、僕は思いきって授業の仕方を変えます。午前に行った知識伝授型講義形式を止めて、午後からはグループ討論と発表に変えました。
そうしたら、これまで黙っていた生徒達が、特に女性を中心にグループ毎に待ってましたとばかり、生き生きと話し始めたのです。やっぱりカルチャーの違いでしょうか?グループ毎の最後の発表では、ムスリムでも、女性などがリーダーになり、自分たちの考えを元気よく発表してくれました。これにはとても驚き、思わずみんなを褒めてしまいました。
これが2008年リーマンショックの前の4月29日~5月5日のことです。
帰るころには、さすがに耳が慣れ、かなり相手の言っていることが聞き取れるようになっていました。話すことは、まだ思うようにいかないのですが。そのレクチャーの間に昼は、インタープリータも他の女性達と食事するので、必然的に昼食は、興味津々な生徒に囲まれて取りました。さすがマレーシア、女性の審査官の数が比率的に男性より多いのです。ですから、お昼も女性の生徒達に囲まれることがあります。色々聞かれるのですが、分からないことも多い中、結構専門用語は分かりました。問題は、それをどう表現するか、それがもどかしくて悔しい毎日。中には、日本語の分かる大学の准教授(男性)もいました。彼とは、大いに日本語で話しました。あの頃ですから、IntelのCPUがQuadCoreが出たてだったと思います。それを買って自分でマザボに組み入れ、自作をするんだと話していたら、大いに話しが盛り上がりました。この時、もっと英語が話せたら、と思っています。
この経験が少し、英語を勉強してみようかなと言う心の中の準備となりました。
この時、自分のメールアドレスを入れておいたためか、ある生徒が、その頃日本では流行っていなかったFaceBookをやってみたらと勧めてくれました。何とか文字だけでも、英文を読み書きすれば、英語がもっと身近になると思い、FBの登録をします。確かマレーシアのどなたかの紹介(その頃FBはまだ紹介制でした)で、FBの一員になれたと思います。
それでもやっぱり英語は毎日読む気になれない。それがその後数年、仕事の忙しさにかまけて、たまに、FBのニュースフィードを読んだり、e-mailのやりとりをしていました。ここでもほぼ挫折ですね。いつしかその時の情熱も失せてしまいました。
たまに、米国の特許専門に代理人が来ては、英語で応対しました。一人だけ、僕の英語が下手でも、伝えたい内容があることを理解してくれたのは、現在はシリコンバレーの特許弁護士をしているミクさんでした。LawFirmのパートナーでしたが、うまく英語でコミュニケーションが取れないのに、色々資料を見せながら、話し合うと、僕の伝えたいことが分かるみたいでした。そのため、アメリカからシニアパートナーが来た際、小さい事務所ながら、私の事務所にそのシニアパートナーを連れてきてくれて、SmartGrid等を中心とした再生可能エネルギーの話しをしました。
その後も、韓国の特許専門の代理人が来て、まだ全然上手とは言えない日本語で営業をかけてきます。これには驚きました。彼なら英語で話せるだろうに、わざわざ、日本語を勉強してこちらに営業をかけて来る。日本人ならまずいません。相当自信が無ければ他国へ行って、つたないその国の言葉で営業をかけるなんて。
そんな経験があったためか、本当、英語はいざというとき話せないとなぁと、ずいぶん悩みました。
2.2008年の生徒だったマレーシア人女性(マレーシアの科学系の大学の技術移転に携わる方)が日本特許庁に実務研修に来ることになります。
彼女は大喜びで、数日前になって日本に来ることを僕に伝えてきました。
彼女が来て、その研修で仲良くなったブラジルの特許弁護士、裁判官、あと同じマレーシアの方(何をなされているかは忘れました)の女性4人を連れて、東京を案内することになります。ま、これもあんまりできた内容じゃ無いんで、案内程度でほとんどはボディランゲージみたいなものでした。ただ、彼女に多少なりともリスペクトを受けているので、なんか話しづらくなかったことは覚えています。
3.知り合いの石川さんの勧めと、online英会話のクリス先生とのインターネット上での出会い
普段からお付き合いのある石川さんという、女性ながらとても尊敬している人から、「佐藤さんみたいにおしゃべりが好きなら、年なんか関係なく、英語はしゃべれるようになるはよ。」と言われ、あの頃から、自分が何かに挑戦し、将来は東南アジアあたりで(この時はまだマレーシアを念頭にしていました)、一旗揚げたいと思うようになります。何より、彼女は、実際にベンチャーを始めていて、考えては調べ仮説を立てては、直ぐに実行に移すのです。その方が一番僕をその気にさせてくれたと思います。彼女は東南アジア方面に何度も足を運び、男勝りの営業活動など、実際にすぐに行動します。ひどい時は、まだアポイントも取ってないのに、いきなりシンガポールに行き、空港のテレビCMで有名そうな会社の名前を書き取っておいて、その場で電話帳みたいなものを使って調べ、何社か当たって、そこで初めてアポイントを取り、営業に行ったこともあると、聞きました。あの行動力には驚きました。でもつらい時は、HongKong当たりでダブルブッキングで取ってあったはずのホテルから断られ、Skypeやら色々な方法で調べたものの、泊まるホテルが無くてまた空港に戻った等と言った話し(石川さん間違えていたらごめんなさい)を聞きました。このくらいの度胸と実行力が無ければ、やっぱり事業を始めるのに成功しないなと、身近な人から、教わることになります。
「よし、とりあえず、できることから始めよう」と言うのがonline英会話を始めるきっかけになったと思います。
ちょうどそのころ、僕はある大学の非常勤講師をしており、彼女にゲストに来てもらい、学生達の前で話してもらいました。学生達も影響を受け、その大学始まって以来、海外インターンを希望した学生が、僕のクラスから二人(その年はそのクラスからしか海外インターンに出るものは他にいなかった)出ました。
その時の彼女の話は、「みんな一人一人が自分自身の幸せのメジャー(幸せを図る計り)を持ちましょう」と言う内容でした。普通経済的にうまくいけばそれを成功と考えてしまいがちです。そういうメジャーでもかまわないけど、それがあなたたちの本当の幸せなのと学生に問いかけるのです。僕には、びんびん心に染みいりました。
そんな彼女から、先に書いたような「佐藤さんみたいにおしゃべりが好きなら、英語はしゃべれるようになるはよ。」と言われたのですから、とりあえず、海外に挑戦しに行かない僕でも、今できることは今しておこう、と考えるようになるわけです。
そんな気持ちを持っていた時、たまたまインターネット上のWorldFriendと言う、謂わば海外版ナンパ(又は海外版ペンフレンド)マッチングサイトを見ていて、もの凄くきれいなTeacher Crisを見ることになりました。彼女をGoogleで調べていくとどうやらParotts-kunと言う、日本の会社がフィリピンに建てたonlin英会話スクールで英会話教師をしているようでした。その英会話スクールを見つけましたが、まだ直ぐにはできないと考え、マレーシアの件も思いだしました。その時、英会話の本を見ないで、CDをそのまま聞き流し、1つが飽きる頃には、本の中身も見なくてもだいたい何を言っているか、発音と意味内容が分かるようになる訓練をしました。耳を慣らすためです。それを3冊分しました。それから、その英会話スクールへ授業経験(2回分無料)を申し込みました。
つらつら長くなってしまったので、今日はこの辺で終わり、次回に回します。ただ、この次には、始めたら、一人の先生と信頼関係を作ることが大事だと言うことを実感する話しをしたいと思います。