現代の科学でも説明出来ない奇跡とされる日本三奇の一つとして、紹介済みの『石の宝殿』の他に『天の逆鉾』がある。


奇、miracleという言葉に弱く、これを一度は見てみたいと思い、宮崎に立ち寄る前に鹿児島経由で霧島神宮と逆鉾のある高千穂峰によろうと思った時の紀行である。


〜その1〜

霧島神宮近くの温泉が取れず、少し離れた妙見温泉という所に泊まる事になった。


不思議なもんで、こういうヒョンなきっかけで、ふと立ち寄る事になる史跡もあったりする。


そうたまたま旅館の近くにあったのが、【熊襲の穴】だった。


熊襲といえば、あの九州の豪族の?


第12代景行天皇の息子:日本武尊ヤマトタケルが熊襲平定を命じられ、オカマ化して、首領の熊襲(川上)タケルを誅殺した話を思い出した。


が、まさに、ここがその誅殺された洞窟だという事で地元の言い伝えがあるのだろう。大切にされている場所だった。



ひたすら小山を登り、階段も登った先、山の中腹に現れる岩の洞窟だった。


洞窟の中は電気をつけて頭をかがめて入る様になっていおり、何んとも湿気臭い洞窟だった。


よくこんな所に住んだ熊襲を尊敬する一方で、オカマ化したヤマトタケルに殺され、さぞかし無念だったろだろうなぁとも思いつつ、安らかにお眠りくださいと祈っておいた。


そう、どうしても、小学校時代の自分ですら、このヤマトタケルの話しは、子供心でも腑に落ちなかったのを覚えている。


怒りと復讐と繰り返しでしかない日本昔話や地球戦争史において、オカマ化して騙して殺された相手に屈辱と怒りを覚えるならまだ人間らしく理解できるも、逆に称賛しタケルの称号まで与えるか??


まるで歴史の勝利者によって作られたような典型的なむりくりの押し売り美談話の様なニオイがぷんぷんしてならないのだ。


ヤマトタケル本人は必死だったのであろうが、古事記がこの体裁でまとめて日本国民を洗脳しようとしてきた感じが否めない。朝鮮藤原不比等の仕業だろうか。


熊襲の人達の本当の思いは歴史に抹消されていないだろうか?などと思いを馳せながら、翌日、霧島神宮〜高千穂峰で天の逆鉾に真意を問おうと思ったのを覚えている。

(実際は温泉と豚シャブと酒を堪能して飲んで寝ただけだが笑)


その1おわり。


次回、霧島神宮は、天孫降臨説の瓊瓊杵尊こと

天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊がご祭神のところらしいが、この辺の天孫降臨説は不比等がうまくつくってる可能性もあり、記紀神武と本物神武という先生の話しの相違点は沢山あるので、なるべく公平に感じるものを伝えたい。


あと、そういえば初鹿児島にくる飛行機からみえた富士山のようなピラミッド山に興奮した。開門岳だったようだ。ピラミッド形がなーんか怪しいけどまぁいいや。