(1)忘れないうちに非実在青少年問題鼎談(猪瀬×村上×東)@『思想地図β』の感想メモを。
(2)猪瀬氏による水道インフラの話は本当に面白かった。またそこから派生して村上氏の「ブランディング」問題(日本の文物をパッケージ化して商品にするときの文脈作成戦略)、
(3)東氏によるドバイを例にしての「蜃気楼」問題(ドバイは蜃気楼に過ぎないと批判されるけれども日本・東京には蜃気楼がなさ過ぎる)の提示も面白かった
(4)(iPodが売れたとき、日本では「ソニーのウォークマンの方が音質がいい」だとか「日本の町工場がiPodの技術を支えている」だとかいった話が好まれるが、AppleはiTunesというシステム〔環境・アーキテクチャ〕を売るのに成功したのであって、
(5)いつまでも「本質で勝負」をやっていてはダメ)。非実在青少年問題については猪瀬氏は「たんなる棚問題」(ゾーニング)とバッサリ。「読みたければ棚の高いところに背伸びして手にとってレジに持っていけばよい」と。
(6)感想:個人的・理念的には、あらゆる意味でのゾーニングに対して反対なのだけれど(ゾーニング自体が「性」の有徴化を前提にしている。「性」という観念の生成がヘテロ中心の生殖主義に基づいていることは加藤秀一の『性現象論』を参照)、
(7)性的なものを性的なものとして観察・マークする「一般市民」がいることは理解できるし、「18禁」ゾーンを作りたくなるメンタリティも理解できないことはない。しかし、都条例の問題は、たんに性的なものの抑圧にあるのだろうか。
(8)猪瀬氏も気づいていない(東氏はおそらく気づいているが鼎談では議論の遡上にあげていない)、都条例の抱える「無意識的欲望」があるのではないか。それは個人的見解では、「ペドフィルフォビア」とでもよばれるべき近代的に一般的な問題だと思う。
(9)これも、理念的には、「ペドファイルが禁忌になったのは近代以降のことで云々」と脱構築可能な問題だけれど、現実にグローバルにペドファイルに対する嫌悪が存在していることは明白で、無視してはいけないことだ。
(10)とくに日本のある種独特の惨状は「海外からの目線にどう対処するんだ」という問いの発生に首肯性を与えざるをえないし、外からの視線以前に、ロリコンの禁忌は日本が近代社会として内面化しておくべき「抑圧」なのかもしれない(近代社会として成熟しようとするのであれば)
(11)都条例の(無意識的)問題は、[i]都条例がそもそも「近代的抑圧」として機能するか否か、[ii]その「抑圧」は「プレモダン的日本のホンネ駄々漏れ」としてのロリコンに対してなのか、
(12)「ポストモダン的ハイコンテクストサブカルチャー」としてのロリコン「文化」に対してのものなのか。もし前者なのだとしたら、この「抑圧」は日本の近代化にとってダメージにしかならないのではないか。というものだと思う。長文失礼しました。