先日、インドのダラムサラ(注:観光地としてもステキなところです)で亡命チベット総会が開かれ、中国側が態度を軟化させるまで対話を中止すべき、という結論の元閉幕された。北京オリンピック前に世界中でデモがあったように、強硬路線を主張する急進派に配慮した形になった。
チベット仏教において、急進派の影響力が増してきて、ダライラマ14世の中国の対応の仕方に不満をあらわにした原因は何なのだろうか。元々1950年代に中国中央政府との衝突により、大量虐殺に見舞われ、結果としてインドへ亡命した。その後も60年代の毛沢東率いる中国によって行われた文化大革命により、多くの文化遺産は破壊された。今日においても、中国側は、ダライラマ率いるチベットは中国からの独立を試みている、と主張する一報で、チベット側は、中国主権下の自治権のみを主張していて、両者の溝は埋まっていない。中国は、チベットへ線路を引き、多くの漢民族をチベットに移住させ、学校教育も中国語のみ、とあくまでも中国の一部として考えている。また、チベットの地下に眠るコバルト、チタン、マンガンなどのレアメタルも中国政府の狙いであることはほぼ間違いないだろう。自治権を与えれば、それらの開発も難しくなり、一歩も譲れないところ。
チベットだけでなく、紛争の原因として見られるのは、譲れない利害関係だろうか。最近再び激化してきた、コンゴ民主共和国東部では、政府軍と反政府軍の戦闘が続き、民間人を多く巻き込んだ殺害や性暴力が続いている。この紛争に根強く関わっているのが、同地域に大量に埋蔵されている金属資源。コバルトを始め、タンタル、ニオブなど、希少価値が高い金属が埋蔵されていて、その権益の分配に関して、争いが耐えない。
その一方で、サダムフセイン政権が統治していたイラクにおいては、1900年代初頭に石油の安定供給のために、当時制圧していたイギリスが、オスマン帝国下では3分割されていた州を一つにまとめ、その中で、少数派であったスンニ派に政権を与えた。その後、スンニ派は多数を占めるシーア派や、残りのクルド人を弾圧し、大量虐殺し、混沌とした状態が続いた。そのためアメリカ軍を中心にフセイン政権を打破した後も、混迷は続いている。
これら以外にも数えればきりがない。では、どうしたらいいのだろうか。現状としては、争いが続く地域には、国連がPKOを送り、中立国の立会いの下、利害関係者の対話を促進しているが、元々対話では解決できなかったから武力衝突が起こったのであって、根本的な解決には至っていない。かといって、自身で軍隊を持たない国連の力は、出資比率やPKO派遣の規模によって、各国の、特にアメリカの、影響を受け、独立した機関としては機能していない。
原因は一般化できても、その解決の糸口は一般化できないのだと思う。70年代、80年代に行った¥世界銀行の構造調整プログラムも、債務国の問題を一般化し、融資の代償として同等の政策を施行するように仕向けたが、さまざまな問題が浮き彫りになり、結局、融資された資金を返還できている国は、極めて少ない。武力ではなく、対話が重視されるべきことは言うまでもないが、それぞれの争いにおいてそれぞれの関係者が主張するものを取り入れた、新たな仕組み作りが必要だろう。既存のシステムでは機能していないわけだが、必ず共存できるモデルはずであって、時間がかかっても探り当てるしかない。
全然答えになってないな。
チベット仏教において、急進派の影響力が増してきて、ダライラマ14世の中国の対応の仕方に不満をあらわにした原因は何なのだろうか。元々1950年代に中国中央政府との衝突により、大量虐殺に見舞われ、結果としてインドへ亡命した。その後も60年代の毛沢東率いる中国によって行われた文化大革命により、多くの文化遺産は破壊された。今日においても、中国側は、ダライラマ率いるチベットは中国からの独立を試みている、と主張する一報で、チベット側は、中国主権下の自治権のみを主張していて、両者の溝は埋まっていない。中国は、チベットへ線路を引き、多くの漢民族をチベットに移住させ、学校教育も中国語のみ、とあくまでも中国の一部として考えている。また、チベットの地下に眠るコバルト、チタン、マンガンなどのレアメタルも中国政府の狙いであることはほぼ間違いないだろう。自治権を与えれば、それらの開発も難しくなり、一歩も譲れないところ。
チベットだけでなく、紛争の原因として見られるのは、譲れない利害関係だろうか。最近再び激化してきた、コンゴ民主共和国東部では、政府軍と反政府軍の戦闘が続き、民間人を多く巻き込んだ殺害や性暴力が続いている。この紛争に根強く関わっているのが、同地域に大量に埋蔵されている金属資源。コバルトを始め、タンタル、ニオブなど、希少価値が高い金属が埋蔵されていて、その権益の分配に関して、争いが耐えない。
その一方で、サダムフセイン政権が統治していたイラクにおいては、1900年代初頭に石油の安定供給のために、当時制圧していたイギリスが、オスマン帝国下では3分割されていた州を一つにまとめ、その中で、少数派であったスンニ派に政権を与えた。その後、スンニ派は多数を占めるシーア派や、残りのクルド人を弾圧し、大量虐殺し、混沌とした状態が続いた。そのためアメリカ軍を中心にフセイン政権を打破した後も、混迷は続いている。
これら以外にも数えればきりがない。では、どうしたらいいのだろうか。現状としては、争いが続く地域には、国連がPKOを送り、中立国の立会いの下、利害関係者の対話を促進しているが、元々対話では解決できなかったから武力衝突が起こったのであって、根本的な解決には至っていない。かといって、自身で軍隊を持たない国連の力は、出資比率やPKO派遣の規模によって、各国の、特にアメリカの、影響を受け、独立した機関としては機能していない。
原因は一般化できても、その解決の糸口は一般化できないのだと思う。70年代、80年代に行った¥世界銀行の構造調整プログラムも、債務国の問題を一般化し、融資の代償として同等の政策を施行するように仕向けたが、さまざまな問題が浮き彫りになり、結局、融資された資金を返還できている国は、極めて少ない。武力ではなく、対話が重視されるべきことは言うまでもないが、それぞれの争いにおいてそれぞれの関係者が主張するものを取り入れた、新たな仕組み作りが必要だろう。既存のシステムでは機能していないわけだが、必ず共存できるモデルはずであって、時間がかかっても探り当てるしかない。
全然答えになってないな。