Netflixドラマはコロナ禍の中で「巣籠り消費」の代表格として見なされてきた。ただ先進国でワクチン接種が進み、経済の再起動が進展していくにつれて、新規の契約者数が伸び悩みを見せていた。そこにNetflixの経営陣でさえ予期できなかった大ヒット作が生まれた。韓国の制作チームによるディストピアドラマ「イカゲーム」だ。このドラマはNetflixドラマで最大のヒット作となり、全世界で1億4千万人を超える視聴者数をゲットした。そして同社の株価も一挙に続伸し、1千億円に近い多額の収益をもたらしたとされる。Netflixでは、関連グッズの販売も計画中だという。まさに異例の商機到来である。


 「イカゲーム」をディストピアドラマと表現したが、ディストピアはユートピア(理想郷)の反対で、いわば架空の「地獄」である。実際にドラマの内容があまりに過激なために一部の国では視聴制限が厳しくなっている。話のスジはシンプルだ。ドラマのタイトルの「イカゲーム」は、韓国に特有のイカの形に似た陣取りゲームを指す。イカゲームだけではなく、韓国や日本でも共通する「だるまさんが転んだ」などの子ども時代の遊びを、登場人物たちがクリアしていく話だ。ただし子供の遊びと違うのは、このゲームをクリアできなければ殺されてしまう。そしてこの命がけのゲームに勝ち抜いていくことで、参加者たちはどんどん獲得できる賞金を得ることができる。ちなみに劇中のゲームから派生して、型抜きできる焼き菓子が世界的にブームになりつつある。


 しかもゲームの参加者たちには、「選択の自由」まで与えられているのがポイントだ。つまりおカネを得るために、自ら進んでこの生か死かのゲームに参加しているのである。それだけ登場人物たちは、現実の生活でも追い込まれていて、この世の地獄をすでに体験しているという設定である。身寄りのない認知症を患う老人、脱北者で生活苦に直面する若い女性、事業に失敗しギャンブル癖もあり多額の負債を抱える中年、エリート街道から転落し横領で手配されているもの、違法滞在の外国人労働者、そして詐欺師やヤクザなどなど、現代の韓国社会の縮図であると同時に、またかなりの部分で今日の先進国の現状を戯画化しているともいえる。


 ただし「イカゲーム」は何も新しい設定ではない。マンガであれば福本伸行の『賭博黙示録カイジ』は命がけのギャンブルを展開しているので有名な作品だ。また「イカゲーム」での一部のゲームはカイジの設定(命がけの橋わたり)と似てもいる。あるいは、映画にもなった『バトルロワイヤル』とも参加者同士が殺し合う設定では共通項がある。またそもそもNetflixドラマでは、昨年配信された『今際のアリス』が、やはりサバイバルゲームという設定であり、ディストピア的である。


 「イカゲーム」の設定で興味深いのは、運営側のスタッフたちが素顔をまったくみせないことだ。全員が赤い無機的なコスチュームを着て、さらに顔は階級に応じて〇△□と描かれたマスクをはめている。そして彼ら・彼女たちもまたゲームに参加している人たち同様に使い捨てのコマとして、簡単に殺されてしまう。またマスクをかけていることで、人間らしさもない機械のようにみえる。つまりゲームの参加者も運営側もすべて残酷なゲームに参加している命がけのコマ扱いされていることでは「公平」であり、そこに明確な差異はない。


 脚本も手掛けたファン・ドンヒョク監督は、コロナ禍での世界的な「階級闘争」の時代を背景にしているとメディアの取材にこたえている。どういう階級闘争か。コロナ禍では、経済の停滞によって生活が脅かされている人たちもいるが、他方で株価や住宅価格の高騰で多額の資産を形成した人たちもいる。「世界はコロナ禍で変わり、10年前と比べて、このストーリーが人々にとって非常に現実的なものになった。ワクチン接種でさえも豊かな国と貧しい国では大きく異なる」とファン監督は述べている。


 確かにワクチン接種をみれば、日本など先進国の多くは50%以上の人たちがすでに二回目の接種を終えている。他方で発展途上国では10%程度の進展具合である。多くの国は自国民を最優先し、ワクチンの供給を安全保障や外交手段に利用している国もある。つまりは持てる国のワクチンナショナリズムが横行しているのだ。世界各国が資金を出しあってワクチンの国際的な供給を行うシステムもあるが、ワクチン確保はなかなか進んでいない。


 ワクチン接種の分断だけではない。もちろん経済格差もコロナ禍で深刻になった。例えば、発展途上国では食料の高騰によって栄養不足に陥る人たちが何千万人も新たに生じている。これは世界的なサプライチェーンの混乱による。昨年のコロナ禍では、中国を中心にした物流が大きく寸断された。中国の都市で自動車などを生産していた農村部からの出稼ぎ労働者たちが、都市封鎖によって戻ってこれなかった。もちろん輸送を担う人材の確保もできなかった。半導体など今日の世界に欠くことができない製品も不足していて、いまだに解消されていない。その一方で、今年に入ってからは世界経済の回復もうけて、昨年の反動増で物流への需要が世界各地で激増した。輸送手段であるコンテナ船や航空機などのコストも上昇した。食料を運送するコストの多くは、消費者に転嫁されてしまう。ただし世界での運送需要の増加だけが、コストの上昇の原因ではない。


 コロナ禍という世界の激変の中で、他方で脱炭素というまたもうひとつの激変が起きている。地球温暖化を回避するために、世界の主要国が石炭や石油をエネルギー手段として選ぶことを急ピッチでやめている。ただし再生可能エネルギーだけではまだ電力に不足してしまう。そのため比較的二酸化炭素を排出しない天然ガスへの需要が急増している。また石油も積極的に増産していないので、単価は急増している。このようなエネルギーの上昇するコストは、当然に食料生産や輸送などに反映されていく。高い食品価格を払うことができない人たちの困窮や栄養不足は増していくのである。


 「イカゲーム」は確かに架空の物語だ。だが、このドラマは架空ではすまない、現実の世界が直面しているしんどさを表現している。