まず書きたいのはこのドラマは面白かったし、その内容を膨らませていく可能性はいろいろあった。

 

そしてその可能性の一端を最終話では、松岡茉優さん、そして共演陣が深堀りしている。

 

「あれ、猿渡さん(慶太)は、どこ?」という問いを中心に、出演者の役柄が過去と現在の自分を掘り下げ、どこでもないここ(人と人との関係の意味)を見出していく、という王道の物語構成を採用した。

 

不在の「主人公」をめぐる物語は、松岡さんも出演した『桐島、部活やめるってよ』が代表的だが、それよりも僕は第三回の感想でも書いた『男はつらいよ』を思い出す。「くるまや」(とらや)のみんなが、寅次郎の不在を時に心配し、ときに懐かしむ、というシーンである。それを本作は最終話でかなり骨組みとして継承していたようにも思える。

 

かけがえのない人の不在は、最終話ではいくつものエピソードで回収されていく。特にポイントはやはり松岡さん演じる九鬼玲子と父との再会シーン、その後の母親役である南果歩さんとの父親をめぐる短いが涙を誘う会話に集約されている。それは感動的ではあるが、封がやぶれた何枚かの現金書留への注目は、この物語がコメディであることを視聴者に想起させることも忘れていない。

 

慶太の父親役の草刈正雄さんと松岡さんとのふたりの対話、そして主が不在の部屋に両親が入り込んで、そこで母親役のキムラ緑子が部屋にかかった慶太の衣装にむけて放つ言葉が、この最終話が虚構と現実の三浦春馬さん(慶太)に向けた思いだったかもしれない。その意味で、キムラ緑子さんの最後の一言は、ありがちなセリフではあるが、この物語の中でも重要なメッセージだ。あの唐突ともいえるセリフは、演技力に秀でたキムラさんだから違和感がなく成立したのだと思う。

 

恋愛ドラマとしては未完だったが、三浦春馬さんの不在がいかにかけがえのないものか、そのかけがえのなさを本作は最終話すべてをかけて追及したといっていい。松岡さんの愛する人に対する笑みによって締めくくられた物語は、その気持ちに気が付いて本当によかったね、と見る側に悦びを与えるものだった。