「財政規律」の本当とウソの経済学

しばしば「消費税を上げなければ財政規律が保てない」という声を聞くことがある。この「財政規律」の話題について、マスコミの報道をみるとふたつの視点があるようだ。

 

 

ひとつは、2020年までに政府が基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化するという計画が達成されなくなるという指摘だ。

 

 

もうひとつは、日本の「財政赤字」が1000兆円をはるかに超える規模であり、国民一人ひとりが膨大な「借金」を抱えていてその歯止めがかからなくなる、という指摘である。さらにこれに加えて増税しないと社会保障の充実がはかれないというものだ。

 


これら3点について以下では批判的に検討を加えていこう。

 


まずプライマリーバランスの黒字化問題である。プライマリーバランスは簡単にいうと「税収マイナス政府支出」のことでしかない。この数字自体が黒字になろうが赤字になろうが、ほとんど大きな意義はない。政府の財政を個々の家計に例えるのは間違いのもとではあるが、ある期限まで給料(税収)よりも支出の方が大きく赤字が続いても、ローンを組み、あるいは資産を売却すればそれで話がすんでしまう。

 

個々人でいえば、もちろんこのローンの返済がちゃんとできないのであれば、破産のリスクが増えるだろう。実は一国経済をみても破産のリスク(財政危機)のメカニズムは同じだ。

 


「財政危機」を定義すれば、「国債の新規発行分と名目GDPの比率」がどんどん拡大すること(=発散すること)である。反対にこの比率が一定の値に収束すれば財政危機は回避される。またあえて家計でいえば、年間の所得に対して毎年新たに借金する額がどんどん増えていく状況を考えればいい。借金に借金を重ねる状況に歯止めがかからないのだ。

 


この「財政危機」を回避するには、プライマリーバランスに注目するのではなく、名目金利と名目GDP成長率に注目するのが経済学の標準的な考え方である。名目金利の方が名目GDP成長率よりも大きければ、「国債の新規発行分と名目GDPの比率」は発散してしまい財政危機がやがて訪れる。他方で、名目GDP成長率の方が名目金利よりも大きければ、この財政危機は回避される。これを「ドーマー命題」という。

 


またもや家計でいえば、借金をする金利よりも給料の伸び率の方が大きいので、年数がたてば新たな借金をすることがなくなることを意味する。既存の借金もやがて減少していくだろう。名目金利と名目GDP成長率だけに原則注目すればいいので、プライマリーバランスが黒字だろうが赤字だろうが「財政危機」には関係ない。つまり政府が目標としている「2020年度のプライマリーバランスの黒字化」はそれ自体が大した意味をもたないのである。むしろこの意味の乏しい目標を、マスコミや増税に加担する人々が固執することの弊害の方が深刻である。

 


なぜなら、先ほどの「ドーマー命題」のキーになるのは、名目GDP成長率をあげる政策、つまりデフレを脱却する政策(金融緩和政策と財政拡張政策)である。ところが2014年度からの消費増税による経済減速のために名目GDP成長率は大きく下振れしてしまった。もちろんプライマリーバランスは赤字のままであるので、増税勢力の人たちは、これを問題視してさらなる増税を主張している。それが10%への引き上げの根拠となっている。もちろんまた増税すればさらに経済が減速して税収が落ち込み、プライマリーバランスの黒字化は(それ自体は意味がないにせよ)さらに遅れるので、また増税を要求するだろう。増税を重ねればさらに経済低迷で税収不足、さらに増税……、という悪循環しか起こらない。

 


対して名目GDP成長率を高めていけば、「ドーマー命題」から財政危機は回避できるし、また税収増が実現できるので、プライマリーバランスにあえて注目してもその黒字化は早期に達成される。ちなみに高橋洋一嘉悦大学教授は、増税なしでデフレ脱却をしたケースの方が、増税ありのケースよりもいち早くプライマリーバランスの黒字化の実現スピードが早いことを実証している(高橋洋一『数字・データー・統計的に正しい日本の針路』第6章、講談社+α文庫)。

 


このようにそもそも基礎的財政収支(プライマリーバランス)の2020年度実現を「財政規律」であると鵜呑みにする方がおかしいのであるが、さらにあえてこの間違った「財政規律」の思想に則ったとしても、さらなる消費増税こそが「財政規律」を破たんさせる可能性が高いこともおわかりいただけるだろう。

 


次に“1000兆円を超える借金”問題である。これも端的に誤解を誘発する悪い議論の典型である。すでに「財政危機」の回避方法をみたので、この“1000兆円を超える借金”自体にも大して問題があるわけではないことは、賢明な読者にはおわかりだろう。だがそれでも「1000兆円を超える借金はでかくてそれ自体が恐怖(?)である」という人もいるかもしれない。

 

会田卓司氏(ソシエテジェネラル証券 東京支店 調査部 チーフエコノミスト)は、論説「財政再建へ正しい道筋 政府負債残高GDP比率がとうとうピークアウト」の中で、政府がリフレ政策(デフレを脱却してインフレ目標の到達を目指す政策)を採用したため、名目GDPが着実に増加して、それが税収の回復に至った。そして政府の負債残高のGDP比率がピークから減少に転じて、財政再建に目処がついていることを解説している。

 


さらに、政府の負債残高(政府の借金1000兆円以上、というものに該当)に注目するのはあまり適当ではない。個々人でも企業でも負債と資産がバランスしているかどうかに注目すべきだろう。政府も同じでそのバランスシートに注目して、政府の純負債がどう変化しているかに注目しておくべきだ。

 


日本の純負債残高は、アベノミクス発動が効果をあげていて2014年後半では約200兆円あったものが、現時点では100兆円程度に圧縮されている。この純負債の圧縮にあたって効果があったのも経済規模を大きくすることであり、税金を上げることではなかった。

 


最後に増税しないと社会保障の充実が損なわれるとする主張はどうだろうか? これについては答えは明瞭だ。消費増税によって経済成長が損なわれてしまえば財政危機になり社会保障制度は毀損する。なので経済成長が安定化することがなによりも社会保障制度の充実につながる。実際に今年の春から、雇用保険が引き下がっている。雇用保険も社会保障制度の一部だが、この保険料引き下げは、経済が好転することで失業率が低下したために保険基金に余力がでたからだ。同じことが社会保障制度全般にいえるのである。

『電気と工事』2016年7月号草稿。