今日はこのようなことがあった。

この電車に乗っていた。

朝早くの電車だったの例のごとく寝ていたのだが、なんだかすごく衝撃を感じて目が覚めた。それもなんか電車に当たったと言うよりは私の体にあたったような感覚があった。しばらくしたら電車は止まった。

線路内に人が立ち入ったというアナウンスだった。私はこの電車にその人が当たったのだと感じた。

実は朝、切符を買う時に突如なんかある感覚があってこの電車ではなく一本早い電車に乗るべきだという「直感」がした。弱いけれども、たまに感覚として私には何かを受信する時がある。明らかに何かを受信したし、かなり強いものだった。時節柄、地震なのかと思ったり、何らかの事故に合うのではないかという直感が働いた。一本早い電車は残り4分くらいあったので、頑張れば乗れる範囲内だったが、まあそのような曖昧な「直感」でこの4分をダッシュして走るのはと気が引けた。

歩いてホームに行ったら、一本前でも間に合いそうだった。中で乗車券変更をすればいいかあなと思ったけれどもそれも面倒だと思って結局、この電車に乗った。ホームで先頭車両付近からなんか嫌な予感がした。今から考えると、おそらくその亡くなった人の想念というか絶望というかそういうのを受信したのではないかと思う。

ホームの脇を複数の男たちが黒いビニール袋とカニバサミみたなものを持って歩いていくのを見た。何があったかは一目瞭然だ。

亡くなった人は別の報道によると49歳の男性だそうだ。当初誰かが70歳って言っていたのでなんか変だなと思っていたのだけど、49歳と聞いて納得した。その場所にたどり着くには70歳では難しかろうと思ったのと、自分がぶつかった「衝撃」がもっと若い感じだったからだ。

何があったかはわからないけど、その亡くなった人は直前にものすごく「残念」だったという感覚を感じた。おそらく本当はどこかで戻りたかったのではないか。まさに「念が残る」のを感じた。魂が自分の体に衝突したような感じだ。とにかく涙がとまらなかった。自分が何かできるわけではないけれども、彼が何かを乗り越えそしてその中に入り、思い切って飛び込んだがぶつかった瞬間、ものすごく後悔をしたような気がした。そういう思いが体当たりした感じで、平静でいられなかった。

乗客の多くはビジネスマンで、朝早くから電車に乗り、商談に間に合うように乗り込んでいるわけで、携帯電話で遅れる旨の話をしていた。とても迷惑そうだった。いやそれはとても迷惑だ。私も遊びにいっているわけではない。でも、そのぶつかって砕け散った魂に祈りを捧げているような人はあまりいないようだった。

1時間30分後に電車は動いた。新大阪で電車を乗り換えた。その電車は回送になり、どこかへ消えていった。

お客様は心よく迎えてくれた。商談は無事にすんだ。お客さんとは普通に対応できた。でも終わったら、涙は止まらなかった。念を残して散った彼はなにに絶望したのだろうか。相談する相手がいなかったのだろうか。家族はいなかったのだろうか。今日はずっと泣いていた。彼は成仏できるのだろうか。誰かが祈ってくれるのだろうか。お経を唱えてくれるのだろうか。少なくとも彼のために私は祈ろう。本当に偶然に私はその新幹線に乗り合わせ、その悲しい魂と時間と空間がクロスオーバーした。泣いてくれる人はいないかもしれない、いるかもしれない。でも彼の無念は引き受けよう。あなたの魂は一部かもしれないが引き受けた。あなたの名前も知らないが、あなたのことは忘れない。