日本は旧石器時代から人が住んでいた痕跡があるが、功を焦り石器を捏造した考古学者により、日本の旧石器時代の研究が著しく毀損してしまった。

 

研究はこれからも進み、新たな真実も明らかになるだろう。日本語は世界的にみて特殊な言語として知られており、異なる複数の言語が融合してできたと言われています。

 

言語が異なるという事は、文化や世界観も異なるという事になるが、基本となる文化に他の文化が合流し新たな世界観が日本に生まれた。

 

原始日本語と呼べるものが、縄文時代に先行してあったと思う。というのも、縄文と言われている文化は担い手に差異があれども、発掘される遺構に殆ど文化の差異が見られない。一つの世界観宗教観精神世界を緩やかに共有していたと考えられるからである。

 

この世界を僕は仮に日高見国と呼ぶことにする。


日高見国を縄文文化と呼んでもいい。

 

日高見国は、最盛期には南は九州から北は北海道の南部に至る広大なエリアに、その文化的な影響を与えていたと推測する。

 

しかし鬼界カルデラの噴火により、西日本は全滅し生き残った日高見国の民は東の同胞を頼って、信州に行ったり関東に行ったり東北に行ったりしたのである。西日本は火山灰の影響が無くなるまでの間は、無人地帯となった。

 

日本は島国であるから、氷河期を除き日本に移り住むには最低でも一回は海を渡らねばならない。日本列島を発見できるのは、海の民でなければならないのである。日本海や黄海、南シナ海を生きる糧とする半農漁労民は漁の過程で、偶然日本列島を発見してもおかしくないのである。そしてそこにはほとんど人が住んでいなければ、そこに住んで新天地とするのに時間はかからないだろう。

 

東アジアでは殷や周と呼ばれていた頃、東アジアの海洋民族[倭]が東アジアの沿岸部、台湾、琉球列島、朝鮮半島南部及び島嶼部、九州、本州南端の日本海側、四国の西側、がその範囲だったと思われる。

 

言語的には方言の類はあるが、通じたものと思われる。

倭のエリアのうちの東半分が、再び彼の地に帰った日高見国の人々と血が交わって、後々倭国と呼ばれるものの原型となったというのが僕の考えだ。日本国の歴史の前半部は倭国の歴史と考えていい。

 

その当時の中国と交流していたのも倭国である。ちなみに春秋戦国時代が終わり秦の時代に不老長寿を求めて徐福が来た時代は、上記の歴史のそのあとのことである。この時代、日本列島には二つの文化圏があった。

 

一つは西に倭国、もう一つは東に日高見国。


そして関西と中国地方が倭族と日高見国の民が濃厚に交わる地帯になった。日高見国の人と倭国の人の混血していた人たちがいたのではないか?と考えている。

 

そして九州南部で倭国と対立していた集団が、東へ向かい関西地域を制圧した。神話では神武の東征と呼ばれている。地元の有力氏族と戦い敗れるが、呪術と策略で文化的に制圧し関西に新しい国ができた。

 

大倭である。

 

ここで日本列島に三つの勢力が誕生した。

一つは西の倭国、一つは関西を中心とした大倭、一つは琵琶湖より北、中部より東の日高見国の三つになった。

 

神話の神武の時代は、この三つの世界が並列しつつ互いにしのぎを削っていたと考えている。

 

八幡様(応神天皇)が倭国を統一して統治、大倭の勢力と戦さをしていたのである。

のちに倭国は戦に敗れ、大倭が西日本の覇者となる。大倭は中国に使節を送るが、倭国と違うと疑義を呈されたと記録にある。神武以降の大倭の大王(おおきみ)は倭国遠征と同時に、日高見国侵攻も計画し信州を除く中部関東エリアを徐々に勢力範囲としつつあった。

 

余談だが、日本の和歌は東歌が源流であろうと思われるが、倭族の歌垣と日高見国の人々の韻律が融合したのではないか?

 

さてこの頃になると、日本列島には大倭と日高見国の二つが並び立っていたが、初めの頃は大倭は形勢不利であった。地方豪族集団の緩やかな連合に過ぎなかったからである。日高見国は倭国の残党や大倭に追われた人々を取り込み勢いを増し大倭を軍事的に大変脅かしたと思われる。

 

その証拠が、大倭が天照大神を始祖としているのに、日高見国に由来する大三輪の神を祀れと強要されたからである。直接対決を避けた大倭は、いまだに地元に従ってはいるが日高見国の血を引く氏族が多くいるので、受け入れざるおえなかったと思われる。

 

耐え難きを耐え、国力を整え軍事力を増強した大倭は、日高見国への侵攻を始める。はじめに自国民を東へ送り入植させる。そうして入植した地域の構成人口を逆転させる。これを繰り返しながら東へ東へと版図を広げ、日高見国の人を北へ北へと追いやっていったのである。征夷大将軍が派遣され阿弖流為と母礼との戦いは記録に残っている。

 

こうして大倭は日高見国を併合し、大倭日高見国=日本が誕生したのである。

すごく荒っぽくて大雑把ですが、日本の黎明期の歴史を僕なりに整理してみるとこんな感じになりました。


大倭の大王には優秀な軍師がいるのですね。

 

日本語の形成と日本国の推移

日高見国誕生(原始日本語) → 倭族九州島嶼部に入植。日高見の民と出会い交わる。 → 倭国誕生(プレ日本語)国が乱立し乱れる。倭国大乱 → 大倭分国東征、関西圏にて倭族日高見族混合部族と出会う → 大倭建国直後に日高見国の軍事的圧力に屈する。日高見国と和平を結ぶ。その間国内整備と軍事力の強化を行う → 大倭西征を開始。大倭倭国併合その後の反乱を制圧 → 大倭日高見国侵攻計画を立案実行に移す。大倭、日高見国文化圏に移民を送る → 中部東海関東を手中に収め制圧する。柵を設けどんどん東に北にと移動して、支配地を増やす。東北に城を築きさらに日高見国を圧迫。反乱を鎮圧しつつ植民地を増やす。本州最北端を支配地とし、日高見国は本州から撤退北海道南部に移る。日高見国終焉。大倭長年の宿願の達成。日高見国併合 → 大倭日高見国誕生「日本國の誕生」