シロの「呑んだくれ」ブログ -3ページ目

シロの「呑んだくれ」ブログ

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以前見たドブ恋のTVと配信で気になった都志見さんを見たくて観劇してきました😊←パンツの印象度がね、今回は生で見えるのかい?(冗談w)

他の役者さんだと三井さん、泊さん、森脇さん辺りを知ってる位であとはお初になるんかな?

少し暗転が多いのが気になりましたが、まぁそこは好みの問題になるんかな?と。





まず思ったのはハードボイルド、クライムの割には結構ハートフルだよなーって😊

探偵、殺し屋、詐欺師、娼婦、ヤクザ...アンダーグラウンド的な職業が多数あるのにハートフルなのが逆に良いじゃん?って。

それらの職業を否定する訳じゃないけども、ほとんどが自ら「やりたい」職業ではない、仕方なくやっている...と思うからね。

実際子供の入院費だか手術費だかの捻出で警察官から転落して...のも話の中であるわけだしね。




なんて言うのかな。

人間の根っこの部分はピュアと言うか...腐ってないというか...

そんな部分を見れたのがね。。





だから、お互い助け合うんだろうし。

冷徹・非情とは全くかけ離れてるのがね。

これ普通?だったらお互い騙し合って最後は独りだけ...ってあったりするわけじゃん?(笑)



フライヤーにも書かれている「あらすじ」




同じ目的を共有する中で芽生えるなにか...の一文




ほんとこの通りなんだと思うよね。

人間は独りでは生きていけないって。

殺し屋でさえもそうなんだよね。ゴルゴ13もきっとそうなんだろうなぁ...



共有する事によって得られる「喜び」は人間ならではのものだと思うので。。



まぁしかし、よくこれだけのアングラ職業が集まったなと←芝居だからあれだけどw

実際、犯罪が絡むと結果集まる、絡むわけですが、その中で得られる共有の「喜び」ってのはお金、薬物...等世間的に言うところのあまりよろしくない物だからね。


そうでなくて、自分の生き方、人生のリセットだったりがそれであるのがいいじゃん?って思うわけです😊




赤い月のワード

赤い月って新しい時代の流れが来る予兆の意味もあるらしくてね。

月のパワー...よく言われます

満月の時にがどうだとか、何か始める時にどうとか...

結局ね、普段日頃からそういう事を考えているかどうか?って事になるわけで。

この話で言えば、人生のリセット。

これが常日頃から頭の中に存在してるから「好機」と捉えるんじゃないかな?と。

普段思わなきゃ、満月だろうが赤かろうが何もしないからねw

思っていりゃ、必ずどこかでその「機」は来るだろうし逃さないだろうしね。

こんな事を考えました。

そうだね、騙されたあの2人も出来るはずだし、これキッカケでそうなるかもしれないよね(笑)

それでいてくれたら僕的にはよりハートフルになるんだけどね😊




でも人を騙してのリセットは自分的にはあんまり好きじゃないけどね




まぁでも最後の最後は自分だからしょうがない...とも思うだろし、同じような目的を持つ人が1人でも多くいたら、人を騙してって気持ちも薄れたりするんだろうし、それこそ騙したあの2人も結果リセットの機会を与えた的なちょっと都合の良い解釈したりとかね...




人間だからしょうがないね😊




登場人物でもある女子高生達じゃないけどさ、あぁいう「ピュア」な部分って大人も見習うべきだよね。

年齢重ねると段々忘れてくんだもの。。




そんなピュアな部分にもあの登場人物達は感化されてたんだろね。きっと。









ハートフルとかコメディのワードが頭に浮かべば浮かぶほど三井さんが中田カウスにしか見えなくなってくるのは僕だけだろかねw








今回の観劇も癒された感が強かったなぁ😊




前回もそうだったけど、キューピーマジックを観るタイミングで僕は疲れてんだよねw




さて今回は結構「笑い」の要素がタップリめで。

皆んな「弾けてんなぁ」って😊

クローゼットの扉が開いての件なんてコントだよなぁってw

ドリフ的な王道からアンジャッシュ的なテイストあったりw

お色気もあったりw

世にも奇妙な物語的な要素もあったりね。






所謂「ベタ」要素のお笑いが沢山ありすぎると、お洒落からどんどん離れて行きますが、こちらのキューピーマジックは不思議とお洒落なんだよね♪

セットも音楽もそうなんだけど、衣裳だったりもそうで。変に笑いにお洒落を求めると、ワードだったりシュールになっちゃったりするからね...

そんな余計な物が無いから良いのかもしれないね♪

それでいて観ていて「居心地の良さ」を感じる。←これが癒しを感じる要因の一つなんだと思います。




話の中でもそうですが、結果、一つの場所に人が集まってくるわけです。親もそうだけど、隣人だったり、劇団関係の友人知人であったり、それこそ兄であったり。←芝居だから当たり前だけどw

その居心地良い場所は誰が作っているか?って事で。

その人の魅力が作ってんだよね。

主人公の伸也を観ててそんな事を思ったなぁ...

自分の魅力ってのは長所ってのはなかなか分かんないもんだよねって。

言い方変えると、人は結構見てるし見られてるし。

だから居心地のいい場所を見つけだすって事。

裏を返せば自分も全くその通りで。

先輩が自分を好きなのかも?って発言がそれを証明してるしねw←当たり前だけど。

でも、この当たり前を忘れていると言うか気づかないというか...




自分は見てるのに見られてない...

認めてほしいのに認められない。承認欲求だけども。

研究生から劇団員になかなかなれない...

これもそういうこと。

謎の男。生まれてくる事が出来なかった兄。

母が自分を想ってくれてた(忘れていなかった)事が分かった時に消えていったって事も承認欲求的なものが満たされたんだからだろうな...ってね。




話変わり最近自分の知人で、ポエム的な物を書いて周りに読んでもらってる人がいます。その人の内面的な事も知れて僕は結構好意的に捉えてるけど。

内容も承認欲求的な物もあって。感想含めて色々な事を話ます。シチュエーションはこの舞台と違うけど同じ事だよねって。なんか性格もこの主人公に似てる感じがするし。次会った時にこの舞台の話をしてみようかな...って。

僕がキューピーマジックを観るのは今回で3回目だけども、自分が気にしている、起こっている、抱えてる事に対しての毎回「ヒント」的な物も貰ってる気もします。これが癒しに繋がってるんだろね。きっと。




世にも奇妙な...

今のタイミングで言えば笑ゥせぇるすまんなのかな?←机を叩く「ドーン!!」被っちゃうのよw

破滅的な事にならないのが良いわけで。でも自分のダーク・真夜中の部分は誰にもあるからね...

それは隣り合わせだからなぁなんてのは改めて思ったかな。。


 


でもお色気が絡むと...ねw




あぁ多分このお色気も癒しになったんだね。きっとw




以前から観てるのもあるけども、こたろうくんと河合さんをより好きになりました😊



贔屓する訳じゃないけども。



より見てるって事になるんだよなぁ...




人が、誰かが見てるから頑張ろうって思える事も実は大切だよね。。










開場して中に入るとDJタイム。

関係する音楽が流れていたり、既に始まっているタイプは色々観てきたけど、こういうのもアリだなぁって♪実際楽しいよね😊



セットに目を向けると



ここで冷やし中華しないでください

犬の糞はじめました

電子大麻吸えます

青空、おおつすみれ←これ???と思ってたんだけど後ほど感想ツイートにいいねが来て分かりましたw



アナウンスでも、音の出るシンセサイザー...なんてのも言ってたかな?



シュールとかそういうのかな?ってそんな感じ???



さて、始まると言葉遊びし放題で(笑)

これだけの量もあんまり見たことないなぁ😊

ワードの繰り返しが沢山あるとあんまりスピード感を感じなくなるんだけど、変なまったり感みたいなね。

そういうのが全く無かったのがちょっとビックリしたかなぁ...それこそ頭文字Dかもね(笑)

長編コント的な感じ?とも思ったけど、「曲」みたいな感じかな..色んな曲じゃなくて、これで一曲。そんな感じに近いかも?

普段曲を聴いている時、たまにこれどういう意味?って歌詞あったり、なんか急に飛んだり...とかよくあったりしますが...僕はそういう感じを受け取りました。最初にDJタイムがあった分そう思って引っ張られたのかもだけどね。

あぁもしかしたらスーパー歌舞伎要素も感じるのかもしれないねw



観ていて一番考えた事は、

言葉についてかな。

言ったもん勝ちなとこがあるよねって。そのワード・言葉が通常でないのであれば尚更で。

それだけで成立は勿論するけど。やっぱり受ける側がいてより成立、より不成立っていうかね。。

パンクだなーーーって思ったりね。

繰り返しを見てて頭に浮かんだのが、わらふじなる○のネタ。キングオブコントの時に一部で批判が出たやつね。←僕は全くそう思わないけども

そのテイストっぽいなってね。

通常?という言い方もおかしいですが、慣れ?経験?があると当たり前のように「流している事」ってあると思うんだよね。人とのやりとりもそうで(受ける側がいるからこそね)これが初めてだったりすると、何度も「確認」したりするのは当然だから...←要はこれも違う角度での当たり前になるわけでね。



当たり前の価値観って言えばいいのかな...

そんな事を改めて感じました。

僕はこの劇団さんは初だから、ちょいと驚きだけど...次回機会があったら当たり前になるのかもだしね。



夢見てると普段考えもしない事、設定がバンバン出てくるわけで。そう思うと凄い納得するんだよね。これに近い物を当たり前の様に自分も見てるわけだから。

夢なら受ける側がいなくてもそれで成立って事になるしね。



全てが遊びと言うのもあれかもしれませんが、「遊び心」というワードが自分的に一番しっくりするかもしれません😊




わらふじなる○のネタしかり、冷やし中華、犬の糞...←ラリってるかも...しかり、それらも一つの世界で当たり前なんだよね。



上演時間が短くなったのもラストまで見たかった、続きが見たかったけど、少し短めに終わってしまった「夢」と捉えると妙に納得はするんだけどねw




中止って決めるのも自分だったりするしね。





あの場所で以前に冷やし中華したって事になるんだもんね。




最後に冷やし中華をあえてまた持ってくる感想が僕的には正解かもしれません。

いつも感想書く時に他人が見たら「読みやすい」とか正直考えるし、纏まりとか散らかるとか軸とかまぁ色々と...笑

だから今回はあえて、とっ散らかってる風に書いてみましたw


読む人からすれば???だけど、僕の中ではこれで成立だから。。


結局こういうことなんだよね。


それぞれみんなね。




*こちらの劇団さんは毎回こういう感じなのかしら???



興味あります。。











3本のオムニバスだけど、ちょっと繋がりがあったりで😊



ざっくり言うと、家族の繋がりのやーつととにかくコント感丸出しのやーつw



見てて昔自分が中学生位だった時の事を思い出しました。←頬を触って紙動かすやつも確かその時代だったかな?w

親と子じゃないけど、兄弟の間での出来事で。何か思い出せない物があって。兄弟誰もそれをなかなか思い出せなくて。ふと自分が一番最初にそれを思い出した時に1分経つか経たないかで弟が続いてそれを思い出して...。

まぁそんな事はよくある事なんだけど、それが2〜3度続いて。暫く経ったある時、また同じ様な出来事があって。その時に弟が、



「ちょっと待って...以前もこれと同じ事があった時になんか分からないけど直ぐに思い出せたから、多分今回もそうなるはず...」って

で、その通りになって...。それが何度か続いてね。

僕が弟に念を送った訳じゃないけど←まぁでもそんなような事は一応したけどねw




受け取る側の弟が何かもってたのかな?

双子の間で以心伝心なんてのもよく言うけどね...

そんな不思議な事を思い出しました。←今度弟に確認してみよう



だから、無い事も無いよなぁ...なんてのも思う訳です



想いは通じる...じゃないけど←綺麗事かもだけどね

、色々考える訳です。

特にこのお話は親子の関係があったから、今の自分に当て嵌めてみたりするからね。兄弟の間であれば親との間でもね...とか都合のいい事考えたりするし。

覚えてる事、忘れてしまった事、多くは言えないけど...

なんかヒントを貰ったと言うか、背中を押してもらえたと言うか、肯定してもらえたと言うか...



最後は通じるかな?って。←最後って言い方も変なんだけどもね...



今、色々考えて少々疲れ気味の自分にはピッタリだった気がします😊



トリック...

まぁタネがあろうがなかろうが、その結果をどう見るかは自分だから。自分に良いように都合のいい様に「思い込む」事もお互いにとって大事な事なんだよなぁ...ってのも思う訳です。



通じてたよね...って。

そこに血の繋がりがあれば尚更で。



このお話のザビエルの存在でもそんな事考えたよねw



やっぱ色々あるけど、居なくなったら寂しいと感じるんだろうなって...w



ロマンあったなぁ...




そう、それから当たり頂きました



幸あれ!!だって...

やっぱピッタリだなぁw











久々のモダンスイマーズ😊




話の序盤から自分の中でグッとぐるものがありました。感銘を受けてそれを他人に話す時の「初心」であったり「熱さ」だったり...。




この舞台はコロナ禍の劇団と何かを始めようとした若者の話だけど、

これって演劇関係でなくてもシチュエーションは違えど皆んな同じ事、ごく普通に有る事なんだよなってね。

年齢を重ねて経験を積んでいくと、大きな出来事がない限りなかなかこういう事は思い出さなくなってくるものだし、新たな事を始める機会もなかったりするしね...




この観劇の直前にたまたま昔のアルバムを見る機会があって、色々思い出す訳です。当時の事を。子供の頃だったり何かチャレンジした時の事だったり色々と。



けど、写真だけだと、ただただ懐かしい感情だけが蘇ってくるだけなんだよね。(悲しい事も思い出すけどいい思い出になってるからね)←それはそれで心穏やかな訳なんだけど。

なんだろうなぁ...その当時やっていた事を今現在続けていないってのも理由の一つになってるんだろうけど。

写真・映像を悪く言うわけではないのですが、演劇は巻き戻せない物を巻き戻す「チカラ」があるよなぁってのを長い観劇歴の中で初めて感じたかもしれません。




「初心忘れるべからず」よく言われる言葉です




その通りなんだけども。

初心の「思い出し方と」言えばいいのかな、、、

それが全く違うんじゃないかな?って。

演劇・芝居は自分自身が実際台詞を口に出したり(無声もあるけど)身体を動かしたりなので(観る側はそれを見て感じるわけだから)写真映像をただ見るだけのと感情の入り方が変わってくるからなのかな?と。

こうやって感想ブログ書いて、時間が経った時にそれを見ても、あぁ素敵な芝居だったよなぁってただの「思い出」になっちゃうわけで。

演劇で「生」を感じれるのが醍醐味...よく言いますが、それを改めて思いました。いや、もしかしたら本当の意味で「初めて」感じたかもしれません。

写真映像は「生」じゃない分ね。

上手く言葉にできませんが、「二週」した時、繰り返した時にそんな事を感じました。

二週目、要は今現在の方がもしかしたら以前の時より、初心より気持ちが高いというか濃いというか深いというか...

そんな感じになるんじゃないのかな?

だって観てる側の自分の受け取り方が1回目と2回目はまるで違ったんだよね。

1回目は若いなぁ...とか微笑ましかったり、自分も笑ったんだけど、2回目は立派になったなぁとか...笑いなんて一切無くて...自分は涙流しっぱなしだったしね...

これってやっぱり演劇だからこそそう感じれるんだろうなと。

演劇だからこそ自分の人生を再び「思い出以上」に感じれるんじゃないのかな?って。



だから

演じれる人、役者を羨ましいと思ったなぁ😊

役者は刺さるのは勿論だよね。実際SNSで役者さん達の感想を見ると沢山そんなことが書かれていました。

僕は演じる側でなく観る側の人間だけど、やっぱり受け取り方がまるで違うわけだから勿論色々刺さるわけです。



多分それは、演じるまでいかなくても「動く」「行動する」事は皆んな出来るわけだからね。

それが生きていくって事だからね。




こういうご時世もあって、やりたい事を続けられなくなった人、いい意味で区切りとした人、色んな人がいると思います。←演劇だけじゃなくてね。

全てこのご時世と捉える人もいるしね。けど、なんていうのかな?そこからどうするか?どう動いていくか?プラスにしていくか?は当たり前だけど自分自身しかないわけだからね。

出来ないから、出来なくなったから、続けられないから、続けられなくなったから、この後どうするのか、どうしなきゃいけないのか、「強制」みたいな物を感じさせないのがいいなぁって。進まなきゃいけない的な事でなくてね。

そっと背中を押す...的な、そんな「優しさ」を感じれるのがね。どの選択をしても肯定してくれる感じっていうかね。←実際観てる側の自分はずーっと肯定していたしね。親父の件とかお金の件とかも含めてねw



このような事を感じれる演劇の世界に観る側だけでも「縁」出来てるのが本当に嬉しいし、幸せな事だよなぁって感じました😊

実際今迄の観劇で演劇は自分にとっては娯楽以上の存在になっているのは間違いなのは自覚してたけども。例えば「奮い立たせる」物だったりとかね。

けど今回はそれ以上の物を得た気がします。



なんだろな。

人と縁すると色々な事があるけども得たり失ったり...

けど長い目でみたら...ってのは感じたかな。←当たり前だけどね



普通にある当たり前だからこそ常に優しい気持ちでいれる自分でいれたらいいし、当たり前をいい意味で捉える人生でいたいなと😊



皆んな自分の事ばかりじゃないんだよね。ちゃんと相手の事考えてるんだもの。



「共有」出来る事。しようとする事がやっぱりいいなぁって♪



今だからこそなんだろなぁ




2020まとめは→こちら






今年もコロナの影響で観劇本数はかなり少なく

16作品 計17本となりました。

いつもお馴染みの劇団さん・役者さんは勿論の事、お初の劇団さん・役者さんも幾つか観劇する機会があり、少ない本数ではありましたが楽しませて頂きました。ありがとうございました😊



自分自身8月にコロナ感染してしまい(幸いな事に軽症で済みましたが)チケットを無駄にしてしまったり感想を書けなかった作品もあったのが残念ではありましたが、やっぱり身体が1番じゃないと何も出来ないし楽しむ事もね...



仕事を始めてからそれなりの期間休みを頂いた事が今まで無く、副業を始めたここ6〜7年は月1しか休日が無かったので、身体を休めるには丁度良い期間だったかな?とは思います😊

プラス自分の周りの事なども含めて色々と考える「キッカケ」にも繋がる観劇が今年は特に多かったんじゃないかな?と。



芝居の楽しみ方は人それぞれありますが、僕の場合は色んな事を気づかせてもらえたり、背中を押してくれる存在だったりする事も多々あるので、有難い事だなぁといつも感じています。

何も考えないで観れれば楽だよなぁ...なんて思ったりもしますがこればっかりは性格だからなんともね(笑)


さて観劇本数が今年も少なかったのでBEST1だけ挙げさせて頂いて。




☆ヨドミ 「ポラリス」

感想は→こちら




1番の理由は僕は基本「笑い」が好きで、頭の中がグルグルになったり、色んな感情が混じり合った時、その笑いの要素が軸・芯になって整理されるのですが、この作品は笑いの要素が全く無いのに自分の頭の中がきちんと整理させられたって事かな。

そして今回も「前のめり」を感じた事。

それで?それで?次はどうなるの?って。


最悪の展開、結果が予想されるけど←そうなるんだけども。



そうはなってほしくはない...



って思えるんだよね。←当たり前の事なんだろうけども。だって自分は笑って終われば全てOK的な感じなもんだからね。



ハッピーエンドとバッドエンドなら、バッドエンドが好きなんだけど(笑)

でもそうなって欲しくない。って思うんだよなぁ...



なんだかよくわかんないけど(笑)


けど整理されてしまうからね


だからBest1に😊


今年観劇した作品全て「人間」を感じたけど、これが1番その「量」が多かったからかなぁ...



来年はもう少し観劇する機会が増えればいいなと。

そろそろ落ち着いた世の中に戻って欲しいですね。



健康第一で。


元気があれば何でもできる。


だね。





来年の観劇スタートはこちらから













今回は前半に笑いがあって後半シリアス的な二部構成みたいなものでは無くて...←顔が好きじゃないの件だけちょっと笑いがあっただけでw

だからちょっと裏切られた感覚はあったんだけどw





けど、面白かったなぁ😊

面白いって表現が合ってるか分からないけどね




とにかく、

ずーっと怖かったし、

ずーっと気持ち悪かったし、

ずーっと狂ってたし。



けど、

ずーっと可愛かったし、

ずーっと切なかったし、

ずーっと泣いてたし、

それでいてずーっと美しかったし...



色んな感情がどうとか、頭の中グルグルとか...そういう類いのとは違いました。

自分の中でめちゃ整理されてるみたいな感覚はあったと思います。




以前ある劇団の芝居を観た時にぐちゃぐちゃの感情になった事があって...

けど自分の中に「笑い」という芯があるのを再認識して整理できた感覚があったんだけど、今回のこれは「笑い」が無いのに整理できた感覚でね。凄く不思議だったなぁ...←自分の人生の経験値もあるんだろうけどもね







あぁそれ分かるわ、その感じ理解できる(この後の展開も含めてね)←サイコパスじゃないよw

って思えたからなのかな?とか


生き返らせるって行動は、形は違うけど、その人に関係する物、身につけていた物等を保存しておきたい事は皆んな思ったりするから、それに近い事なのかもしれないしね。

また、好きだからこその感情とか、色々な嫉妬だとか性欲だったりとか...



人間だからこそ、それこそ「心」があるからこそなんだろね。きっと。


ドラマ、映画、小説、舞台...等で似た感じのを経験してきたからかもしれません。

けどそれに対しての「心」が無ければ何も感じないんだよね。←勿論忘れてるのもあったりするけど。



多分だけど、形、シチュエーションは違えどこのお話と同じ様な事柄が現在進行形で自分に起こっているって事なんじゃないかな?恋愛だったり仕事だったりとか。←サイコパスじゃないからw

まぁサイコパスも人間なんだけどさw

結局、自分に重ねないと、重ねられないと、重ならなかったとしてもその作業、行為を自分自身でしないと理解はできないわけだしね。



当たり前の事ではあるけれど、観て何も感じない人だってこの世の中にはいるわけだし。

それも人間なんだけどもね。。




人間皆んな淋しいと思うのは一緒だね。これを感じれたのも整理できた理由の一つかもしれません。

この話でも親子関係、兄弟姉妹関係、友達関係、恋愛関係...色々あります。

関係がある事が当たり前になってるから、失恋しただとか亡くなった時ぐらいしかそれを思わなくなってきてるんじゃないかなって。

今はインターネットも発達しているから人とのやりとりも容易になってる分もっとそうなのかもしれないし。


たった独りの化け物が心・感情を得た時、人間になった時にあぁやっぱり人間って表には出さない人もいるけどそうだよなぁ皆んな寂しいんだって納得したしね。

昔と違い、今の時代はロボットにも感情が出来てきたりだとかね。科学の発展はもの凄いけども、これだって人間の淋しい感情から産まれてきたのもあるわけだしね。




自分の言動に反応してくれるって凄く有難い事なんだよね。自分の存在の意味。意味がある事なんだもの

独りでって意地張るような人はやっぱり好きじゃないなぁ...w こんな事考えてしまいます。

まぁそれも人間なんだけどね。




ポラリス。

このワード素敵だなって。

不動な物。

指針になる物。

僕の言い方、捉え方ならば「芯」って事。

僕の場合は「笑い」って事。




それがたまたま無かった、たまたま見えなかったとしても、そこに「ある」のは自分の芯にあるのはわかっていたから整理できてたのかもしれません




でも人間だからやっぱり「探す」んだよねw




カーテンコールの司祭で安心したものw





人は人を創るし創られるし、壊すし壊されるし。狂うし狂わされるし。

魅力という物があるからなんだろうなぁ...




今回も「前のめり」になりました😊













「ー」が多いなぁ〜ってのがまず最初の印象



なんとなくだけど感情がめっちゃ入ってんのかなぁ...とかそんな想像はしました




僕はサッカーが好きなので





「ゴーーーール!⚽️」




この感じを思い出す訳です。

そういえば施設の管理人の夫が博多華丸さんにちょっと重なったりしてね。←川平慈英のマネするしw

まぁそれは置いといて、ラストの叫びがその人の一つの「区切り」だったり「リセット」みたいなものを感じたから、そんなに離れてはないかなぁ...なんてのを思ったりね





さて、

先週この劇場で観た舞台がたまたま精神病棟のお話で。それで今週も似た感じの施設が舞台で。

自分の中で区切りとはまた違う「途切れない」感覚もありました。

人生って、生きるってこういう事だよなと。





芝居の序盤に思ったのは、施設で行われている治療、リハビリとでも言えばいいのかな?

眼、眼、眼...等の所謂「繰り返す」行動

これって実際のところどうなんだろ?って。

自分の勉強不足もありますが、意味があるのか?と思ってました。

そしてその行動に対しての「ビューティフル」の声掛け。ある意味お決まり、お約束の行動。

でも実際これって凄く大事な事で。




繰り返すって単調な作業の感じはあるけど←最初は自分もそう感じてたから???と思ったわけで。

当たり前だけどそれが自分自身のチカラになったり底上げになったり。

他人に対しての行動でも最後は自分に必ず還ってくるんだよなって。良い事も悪い事もね。因果応報じゃないけども。要は「繰り返す」って事になるんだよね。

このお話で言えば、刺す事をしたら自らだけど刺して痛みを知る事になるし、人に向けて声掛けしていた言葉が自分が言われる事になるし...

その時はまさかそうなるなんて思わないんだけど...

だから、こういうのを観ているとね、言い方悪いかもだけど、面白いなぁって、人間って面白いよなぁって改めて思うわけです。




ある程度年齢を重ねて大人になっていくとそこそこの経験も積んでいくので、あまり変化の無い日常が長ければ長いほど、こんな当たり前の事なんか考えなくなっていくんだよね

何かマイナスな出来事があった時にこういう事は気づきやすいのかもしれないよね。中には気づかない人、いや気づかないふりをしている人だっているだろうけど。

こういう施設が舞台になるとどうしてもそこだけにそういう人達だけに目が行きがちになりますが、人は何かしら病んでいると言ったら語弊があるけども。ごく普通に皆んな大なり小なりあることで。目に見えてると見えないだけの違いなんじゃないかなとも思うわけです。だって管理人も...ねって。




フライヤーに




それでも私は、人と繋がりたいです。




の一文が書かれていましたが、「それでも」ってのはこの後起こる事柄が予想とは違ってとか、要はマイナスを思い出させる言葉になるわけで。

人と繋がるって事を考えるとそれによって創られていく物があるからプラスの事ばかり考えがちですが、それによって実は壊れるものもあります。どう捉えがちになるかは勿論その人の性格によったりもあるけども。

だから、この一文が凄く「深い」んじゃないのかな?って。

色んな事があっても最後は前を向いていくっていうかね。人と繋がりたいってのは心の奥底に人を助けたいし、人に助けられたいってのがあるから、そこに価値を見出してる証拠になってるからじゃないかな?って。




だから、色々あるけど、そこからどうするのか、じゃないのかな?って。




その繰り返しが人生なんだもんね。

自分ではそれに気づいてないだけかもしれない。

けど面白い事にそういう人達が集まってコミュニティが出来てしまうんだよね。

結果論なのかもだけど、そうなんだよね。

だから、

お決まりでもいいから、あえてビューティフルって言うのが大事になってくるのかもしれないよね。

だってやっぱり人は「褒められる」のは嬉しいもの。

お世辞だって分かってたとしてもそうだしね♪

ビューティフルって言えたら、もうその人は「勝ち」なんだと思うなぁ。その人の思う価値は勝ちなんだよなぁ。

人生全て「勝ち負け」で表すのが正しいとは思わないけど、でもやっぱり勝ち負けは必ずあって。

マイナス寄りの思考から始まりがちなら当然勝ちたいと思うもんね。




動物になりきるって件もあったけど。

自分ならどうするかな?って考えた時にゴリラだったりとか真似しやすいのをきっと選ぶんだろなぁって思って。プラス顔真似すれば笑い取れるんじゃないかな?って。多分それが今思う僕の価値なんだよね。笑いが1番の価値っていうかね。

カエルとか鳥とか色々いたけど。

ウサギかなリスかな?そういう動物を嫌いな人ってあまり聞いた事ないし。可愛い象徴なんかな?誰にも否定されない居場所を欲してるのかな?とか。

ナメクジは逆に消えていなくなりたいとか...

今自分が思う自分の価値と言えばいいのかな?それを人の前で皆んなの前で出す事、吐き出す事に意味があるんだろうね。

自分の隠している意思みたいなものを出すって事をね。一見、幼稚園児、子供のお遊び的な物を感じたけど、大人になれば自分の意思で上手く隠そうとするから大事な事なのかもしれないね。病んでいるなら尚更で。




やっぱり人に伝える事、伝えようとする事は大事。

繋がった時、通じ合った時の嬉しさは人間ならではものだしね。

ただ、それに加えて独りよがりにならないでってのが必要なんだと思います。でないと時には押し付けになってしまうわけだから。

舞台で記者、ルポライター、冤罪等が絡んでいると昔読んだ本に書かれていた事を必ず思い出します。

本来なら被害者なのに報道する側の問題等で容疑者扱いされてしまった相手に対しての想い、自分への戒めにその被害者の自宅の庭に落ちていた枯れ葉を栞にして必ず持ち歩いているというマスコミの方の話をね。



ペンは剣よりも強し



言葉の暴力ってものをね。




僕はフライヤーを見て最初の印象がたまたまサッカーに重なったから、だからこんな事を感じるけども、

点が入ったって試合が終わらなければまだ続きはあるわけで。

そこで一旦プレーの流れに「区切り」がつくだけでまだ続くんだよね。

点を取った方(プラスになった側)も取られた側も(マイナス)そこから新たにどうするか?って事をしていくわけだから。

歓喜も悲哀もどちらの叫びもそこで終わりじゃなくてどうするか?だからね。

その叫びが、「絶叫」なら尚更じゃないかな?と思うわけです。

絶叫ほどの叫びならものすごい感情がそこに入ってるんだろうしね。






なんか映画のライフ・イズ・ビューティーフルとかも思い出してきたなぁ...😊




この舞台に関わる事ができただけでもう「勝ち」なのかもね。



僕が観た回はダブルアンコールがあったんだけども。

ダブルは何度かさせて頂いた事はあっても周りの反応見て...でしたが、今回はもし独りになったとしても拍手👏し続けたと思います😊




これは押し付けじゃないよね?w




最後まで人と繋がってるなぁって感じました。。




ありがとうございました










全く想像してたのと違いました!(◎_◎;)

前回の布団漂流記も想像と違いリアルを感じましたが、今回は自分が抱えてると言ったらオーバーかもだけど、重なる部分があったので...よりリアルなのかな?

だからあんまり笑えなかったかな?って。要所要所は勿論笑ったけどね



百八重人格だったり←煩悩の数かな?

ちょっと天使にラブ・ソングを...ぽかったりとか

SMの件とかねw




布団は2回目の観劇はずーっと笑ってたけど、今回は2回目観る事が出来たら多分違うだろうなぁなんてのは思いましたが、少し時間置かないとキツイかもしれないよなぁ...なんてのも。






精神病棟のお話で。

これ、関係者が観たらどう感じるかな?どなたかの体験記みたいなものもあるんかな?とか...まぁ思ったりする訳です。

精神病にも色々ありますが、

人には見えない物が見える。

幻覚・幻視の件の度に色々と自分の親だったりを考えるわけです。

このお話で言うとこの塵の王の存在であったり、手紙だったりね。

そして色んなタイプの人もいるわけで。

ハツ江みたいなガンガン喋る人なんかは第三者から見たら松野明美みたいで笑えて面白いんだけどもw これ実際関係する人はそうじゃなかったりするんだよね。

芝居だからあれだけど、お客さんの笑い声が聞こえるとやっぱり多少の違和感みたいなものは正直感じました。←イラッとしてる訳ではないので誤解の無いように。

ただね、色々考えていくと、自分がそのコミュニティに属した事ないから分からないだけで。

実際、自分の親等に全く重ならなければ僕も普通に笑ってたかもしれないしね。いやきっと笑ってたんだと思うし。そのコミュニティ内にいたらいたでハツ江を笑ってたかもだし、逆にイラっとしてたかもしれないしね




だから、

第三者ってのを少し改めて考えてはみたかな。





誰もが皆んな第三者なのはある意味当然で。

だから「対話」が必要なんだよなって。

その対話によってコミュニティが作られるわけだしね。ただその対話の「難しさ」はあるんだよね。

自分はこのお話に親を重ねた訳だから。

否定してはいけないだとか話を変えたりするとか...まぁ色々とあるんだよね。現実は。

本人が今1番居たい場所、生きていたい場所は本人しか分からないけど病を患っているとそれも本当かどうか分からないし。だから本来の場所に導く「対話」が大事になってくるんだしね。でも現実は「押し付け」・「強制」が出てくるんだよね。施設とかに入れるとか...そうだし。考えようによっては精神病棟もそういう事になるしね。日本がどうとかのレベルでなくてもね。

暴動が起きた時にアン子1人が出て行かなかった件を見た時にこんな事を考えたわけです。

違う場所に行きたいけど、「今」はここに居たいって、生きたいって。今後どうなるかは分からないけど。けど、今はそれが本人にとってはとりあえずの正解なんだよね。

だからじっくり時間を掛けて...と言えない現実も実際あるわけです。





相手の気持ちになって考える。よく使われる言葉です。

病で自分が分からない状態ならその言葉通りに行動する事はとても難しい事だよなって。

なんだろなぁ...って。どうすればいいのかな...って。

皆んなそうだし、考えても仕方がないと言えばそうなのかもですが...。

結局のとこ「投げない」って事になるんだろうな...

難しいね。。




さて、対話について改めて深く考えたわけですが、

病が絡むとどうしても重めの感じ方をしてしまいがちですが、考えてみるとこれってどんな場面でもあるし、日常生活に於いて極普通にある事なんだよね。

対話を避け続けた結果の独りであったり孤立であったり。プライベートでも仕事でもね。

「悪」とまでは言わないけど、喋らない伝えないのはある意味そうだよなぁって。我儘、自己中の許容範囲を超えるもの、皆んなが同じに思うルールに外れたものはね。勿論相手の事を考えての喋らない伝えないはそうではないけども。






やっぱり皆んなで協力する、共有する、助け合うってのは大事で。





題名に「塵」があるから

塵も積もれば...ってのも頭に浮かぶわけです

良くも悪くもそれは大きな「チカラ」になるわけだから。。








そしてミゴは逆から読めばゴミになるんだよね。言い換えれば不用品。

人をゴミ扱い(そういう扱いはキツいよね)と言ったら聞こえが悪いけど、邪魔だとか要らないだとかを思ったりは誰もがあるからね。そういう考え方はやっぱあんまりね...と改めて感じたかな。このお話だと精神病棟な訳だから色々とね。






自分と向き合う事、人と向き合う事の大事さ大切さを改めて考えるキッカケになりました。




ありがとうございました😊























劇場入り口のこれ↓↓↓いいよね♪

場内案内は黒服だったしね♪
フワフワした気持ちになりました😊
酒飲みたかったね♪


さて、まず思ったのは人との「縁」かなと。
親も含めてなかなか切れないものだよね。
その時は悲しかったり腹立つ感情があったり分からなかったとしても、大事に大切にすればするほど、いつか必ず笑い・平和が訪れるんだよなぁって。
負の感情なんて実は一時のものだったりすんだよね。
勿論中には切れてしまう縁もあるし、その人次第なんだけど、閉じこもらないのが一番だよな...ってのね。←僕の場合はねw



さて、何故「縁」かと言うと
実はお湯割りチームの勘助と知り合いで、同じ「組」とでも言えばいいのかな?(笑)
けど仕事の都合上、ほとんど顔を合わせる事は無いので、派閥が違うとでも言えばいいのかしら?(笑)




剣持さんが兎座に出演→勘助の観劇ツイート→RTで流れてくる→僕の眼に止まって久し振りに連絡取る



この流れで今回初のだるま座さん観劇となったわけです


相互フォローはしてなかったし連絡取るのも6年半ぶり位だったしね。
同じ「組」に入ったのも1年半程前に僕が後からなので...ね←僕らの業界もネットの発達で色々あるわけです(笑)
確か最初に出会った時は自分観劇好きなので機会あったら観に行きます的な会話した覚えがあるんだけど、そこから顔合わせる機会なくなってしまったからね
。観劇しながらそんな事を考えてました。


このお話は1999年が舞台
この時代はSNSもまだなかった時代。メール位かな?
今ではどれだけ距離が離れてても連絡とるのが容易になってるわけで。
気持ちを伝える、繋ぐなんてのもSNSじゃ軽いよなぁなんてのも普段思いますが、今回の観劇に至ったのは実際SNSなのでね。捨てたもんじゃないよなぁとは改めて思ったよね。
けど、僕らの業界的にはネットの発達はやっぱりキツいことにはなるんだけどね(笑)



人の縁とは不思議なものだなぁって改めてね



そして、
自分の思うようにやる。
これって結構難しくて。人の眼まわりの眼だって気になるしね。
今ならSNSで自己発信も出来たりするからそれが自分を後押しできる1つのツールになったりもしますが、この時代はそれはないしね。まぁでもあれか逆に人の眼を引きすぎてマイナスになる場合もあったりするか...
だからね、



「それでいいんだよ」



ってのが凄くシンプルだけど刺さりました。人に向けても自分に向けても。
言い換えればSNSの無い時代のSNSになるんかな。
なんか色々便利になった時代だからこそそう感じます。今はそれでいいんだよって。
信念って表現すると固いからあんまり好きじゃないんだけど(笑)
けど、貫くってのはやっぱり大事なんだよね。後でどうなるか誰にも分からないんだからこそね。
慰めとか言い訳とかそういうんじゃなくて前に向く為の「それでいいんだよ」なんだよね。


その言葉と
オーナーがピエロ🤡の格好したりチャラけてたのもあったせいか段々とこれに見えてきてね↓↓↓





























もし今後「開店」するならピエロじゃなく是非この格好で←違うw




バカボンのパパはこれを貫いてんだよなぁ。
で、最終的に「笑い」に「平和」になるんだもんね。
やっぱこれなんじゃないのかな?って。



それになる為にはお互いが想い合うのが一番なんだけどさ、一方通行の場合も多々あるからね...その時に自分の邪魔な壁を取っ払う事も必要だよね。
人は独りで生きていく事なんてなかなか出来ない。
仕事でも趣味でも何でもどこかのコミュニティにいたらそれはそうなんだよね。
自分で知らない内にお世話になってるし、助けてもらってるし。誰かを助けてるかもしれないし。
当たり前だけどそんな事を考えました。



「濁った眼」これなんてその時言われりゃそら腹立つけど、まさか自分が言う事になるなんて普通思わないもんなぁ。あっ、でもそのフレーズ気に入ったらいつか使ってやろうって温めるって事もあるか。。。



だから そういうことなんだと思います。
大事な大切な人との繋がりは切れないし、大事に大切に回ってくるんだとね。回ってきた時に自分で終わらせないで次に回す、繋げたいよねって。
回す事って大事なんだよなぁ。
乾杯...献杯かな?
不味い酒って分かってて何回も同じ事を繰り返す、いわば何度も「回す」だよね←もうこれは平和で幸せな訳です。ボケとツッコミのワンセットじゃないけどさ。これを皆んなが「共有」してるわけですよ。
ワンセットの幸せを。みんな「笑う」んだもの(笑)
RTでも回せってことだな←違う?(笑)いや、でも大事よね



最後に
キャンタマはかなりのパワーワードだよなぁって。
センスがあるのかどうか?は分からんけど、
百恵さんが言うとかなりの「説得力」があるなぁって(笑)



バカボンのパパの「これでいいのだ!」に近いものがある気がするなぁ。



だからNo.1ホステスなんだろなぁ...(笑)





あとね、俺の名を言ってみろ!これちょっとツボったなぁ。
1999年だから世紀末。
北斗の拳だもん。
ジャギのやつだよね。
心の中で「バイク川崎バイク」だよ!ってツッコんでました(笑)