そろソロ一歩 -42ページ目

そろソロ一歩

ブログタイトルの“そろソロ一歩”とは、遅ればせながら人生の再スタートで一歩を踏み出そうという気持ちを込めました。
そして、日頃単独行動が多いため「単独=ソロ」という意味合いもあります。

安保関連法案が与党の強行採決によって可決された。

野党が反対するのは分かるし強行採決もマズイが、不思議なことにメディアのほとんどは反対重視の報道をしている。

これに対して、あるタレントがツイッターで「賛成意見も聞きたい」とつぶやいたところ、反対派から猛バッシングを受けたとか。

まあ、これは今回の安保法案に限ったことではないけれど、ある事柄に対して賛成するにしても反対するにしても、即座に思考停止してヒステリックになってしまうのは良くないと思う。


個人的には平和で争いごとのない世界になればと思うのだが、なかなか世の中自分の思い通りにはならない。

今回の安保法案の柱である集団的自衛権についても、国連加盟国として義務は果たさないといけないわけで、抑止力としてある程度の武力を持つのはやむを得ない。


憲法9条を守っていれば戦争にならない?

そう思っている人でも、外出する時はほとんどの人が家に鍵をかけるはず。

なぜ鍵をかけるのかと言うと、それはすべての他人を信用していないからでは?

ほとんどの人は善良で窃盗などの犯罪を犯さないけれど、ごく一部の人間は盗みに入るかもしれないから念のため鍵をかけるのでは?

自分の家を日本という国に置き換えてみると分かりやすい。


まあ、世の中すべての人間が善良で罪をいっさい犯さず、「性善説」ありきで世界が回っているのなら抑止力などいらない。

戦争も犯罪もないわけだから、軍隊や警察、死刑を含めた刑罰もいらないわけだ。

果たして、そんな世の中が実現可能だろうか?


ちょっと話はずれるが、個人的にはこの世は善と悪、平和と戦争、光と影、プラスとマイナス、つまり“ゼロサム”の世界で成り立っていると思っている。

光が当たれば当然影の部分も出てくるのであり、どちらかに偏るということはない。


私は「性善説」「性悪説」どちらだけしか存在しないことなどあり得ないと思っている。

よく「裏表のない人が好きだ」と言う人がいるが、そんな聖人君子のような人間が存在するとしたら、お目にかかってみたい(笑)。

ほとんどの人間は社会生活を営む上では「善良」な人間として生きているが、程度の差はあっても誰でも暗黒の側面を持っていると思う(自分も含めて)。


だから、私はどんな人間でも多少は疑うことにしている。

それは自分に対してもそうであり、親兄弟や友人知人、たとえどんなに優れた人格者だとしてもである。

こう言うと「あなたは素直じゃない」と批判されそうだが、やみくもに何でも疑うことなく信じるというのは「素直」ではなくて「盲信」だと思う。

もちろん、相手を信じることも大切、要はバランスなのである。

他を疑うことは自分を守るため、ひいては国家や世の中を安寧に保つための“抑止力”として必要だと思うが、他の人はどう考えるのだろうか。