人は生きる意味を必死に探す様ですね
どうして死ぬ権利は探さないのでしょう
ここで一つの映画を紹介したいと思います
それは『アンドリュー』です
ネタバレしてしまいますが
ロボットが自我を持ち人間になりたいと体を改造して
人間にと言う物語です
はて人間の条件とは
ロボットは半永久の命?を持っています
アンドリューは考えます
行き着いたのは
人間は老化し
寿命を迎えると言うものでした
つまり
ロボットからしたら自殺です
そして
最期は人間とロボットの境はと言う裁判が開かれ
判決を聞く前に老衰し、亡くなると言うものでした
人間は死があるから人間なのです
そう言う描写が散りばめられています
ロボットは人間になりたいと思った
内臓から全て
人間の模倣をし逆に人間は死から遠くに位置する様になりました
しかし
それでも人間は人間
ロボットはロボット
この括りは変わる事がありませんでした
限りある命だからこそ人間だったのです
飛躍させると人間は死ぬから人間なのです
それならば自殺もまた人間の行う所業だと思われます
論破してくれる方をお待ちしています
お偉いさんが自殺は良くないと言うのは無しでお願いします
何の解決ににもならないので
それならば昔の日本人は死に様に美徳を覚え、腹を捌いていました
日本人の美徳は、死に様にあたります
西洋かぶれの不甲斐ない国が今の日本です
ご意見、お待ちしております
ではでは
🍀✨✨✨