天才、秀才の作り方 | まっつんの想い

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子供じみた所があるのは否めません。

ですが力の限り綴っていますので

読んでいただけるとありがたいです。

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ひとえにこの二つの人種の作り方は、無理な様に思われるかもしれない。

ただし、今の日本の教育の仕方は、おもむろに秀才を作るやり方そのものである。

何に対しても、万能にできる、対応できる。しかも、平均点以上と言うかたちの人種の作り方。

ただし、この作り方は、天才を作りにくい。あくまで、天才は壁を超えた向こう側にいる。それを行うには、大きなエネルギーがいる。

秀才は、いろいろな事に力を分散しなければならない為、限界と言う壁を超える為の、エネルギーを溜めにくい。

そう、よく本に書かれている幼少期は、天才、少年期は、非凡、青年期は普通その後は、どんどん下っていくばかりだ。(この下りはうろ覚えだが)

では、何故この様な現象が起こるかと言うと。幼少期はやる事、やれる事が少ないのに関係していると思われる。

皆は、最初、誰もが天才だった。それは、1つの事に集中するエネルギーと時間があったからだ。そして、外野もそうは、うるさくないからだ。

天才の作り方は、一歩間違えると、独裁者を生む恐れもある。危険性はある。例えば、人を惹きつける魅力を持った特性のある天才は、自分の思うがままに動かせる、それがヒトラーだ。例えばの話だが、、、レーニンしかりである。

今の大人でも、たった1つの事に全精力を傾けるエネルギーと時間があれば、誰とて天才になれると思っている。
その代わりそれをすると、変人、馬鹿扱いと言う違ったおまけがついてくる。

だから、天才と馬鹿は紙ひとえとは、よく言われている。

親御さんは考えて欲しい、必ずしも天才が幸せな人生を送るとは限らない。
我が子を目標は秀才にして、普通の生き方をさせるのも、また、その子の幸せにつながるかもしれない。
そう、認められない天才は、馬鹿扱いされるからだ。

世の中、馬鹿と言われない人は、ほぼいないけれども。

人である以上、言われないようにしたい、これは世の常である。そこでエネルギーを使ってしまっても、天才にはなれません。

全てをスルーすることのできる人が天才になれる可能性が高いと思います。一心不乱と言う事です。

でわでわ、失礼ーグッド!



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