今日も新しい、一日が始まった。
生きている限り、目が見える限り、大体同じ景色を見られる事になる。
どうして、こんな始まりかと言うと、ボランティアで、関わっている方々が、目の見えない方が多いからだ。
そして、1番言いたいことは、この方々を『障害者』と呼ぶのが、許せない。『障害者』って何か害があるの?世の中、犯罪を犯したほうが余程、障害者でしょ。
なぜ、こんな言葉があてられたのかが分からないし、目の見える方々が、平気でこの言葉を使うのも許せない。
一生懸命、生きているし、苦労は、何倍も、目の不自由な方のほうがされている。それなのに…だ。
だから、自分はこの言葉は、大嫌いだ。
使い方を間違っている!
知って欲しい、どれだけ、目の不自由な方が、頑張っているか、実はこれも差別なのだが、目の不自由な方は、普通に生活しているだけなのだから。上から目線になっている。
だから、目が見えようと見えまいと自然体で話をして、冗談を言い合い、笑顔で会話をすればいいのである。
特別扱いは、しては、いけない。彼らもこの世の中を生活していかなければならない戦士なのだ、目が見えないからという理由で、弱っている方を自分はあった事が無い。
自分なんかよりもとでも活き活きして力をもらえるくらい明るいし楽しい。
そう、『健常者』という言葉もおかしさ満点なのだが、、、
とにかく、特別扱いは、必要ない、ここだけ読むと、冷たい奴だと思われるかもしれないが、それが、この社会を生き抜く為のお互い、戦士なのだから。
それに、目が見えないからと言って、不自由なんてほとんど聞いた事が無い。かわいそうと思う事自体が、奢りであり、思い上がりなのだ。
という事を、肝に命じてほしいと…朝焼けを見て、思いました。
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