視察報告@広川町編 | 三宅秀明オフィシャルブログ「“おかえりなさい”のまちづくり」Powered by Ameba

視察報告@広川町編

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こちらは、広川町の分です。

於:広川町

面積:65.31平方キロ

人口:7,735人/2,802世帯
  (男性:3,635人)
   (女性:4,100人)
     *平成24年9月末日現在


視察事項
・津波・防災対策について
  広川町は、近現代の歴史においてだけでも、宝永地震、安政大地震、
 昭和南海地震それぞれに伴う津波の被害を受けてきました。
  もちろん、それ以前でも津波被害は度々発生しており、室町時代の豪族
 畠山氏は津波防災のための石垣堤防を築きました。
  しかしながら、宝永地震と津波では死者192人、流出家屋700戸の
 被害が発生し、安政大地震と津波では死者36人、流出家屋125戸という
 被害が発生しています。
  濱口梧陵翁はこのとき、被災者の雇用確保や将来の津波防災などの観点
 から、私財を投じて堤防築堤に励まれ、安政5年12月、高さ5m、根幅
 20m、延長600mの大堤防が完成しました。
  この堤防は、畠山氏築造の石堤よりさらに人家側に築堤され、完成と
 同時に黒松とハゼノキが植えられたそうです。
  昭和南海地震と津波の際には、堤防の届いていない地域を中心に死者は
 22人にのぼったものの、流出家屋は2戸に抑えることができ、堤防の
 意義が深まりました。
  現地視察もさせていただきましたが、自然由来の堅牢さを感じることが
 でき、たまたま同席下さった当地のふるさと案内人の方からは、この堤防の
 存在が、津波防災の面からはもちろん、連綿と続く歴史の証としての誇り
 でもあるといった趣旨のご説明がありました。
  なお、防災に関する研究で高名な関西大学の河田教授からもこの築堤
 方式に高い評価をいただいています。
  また、近い将来の発生が予想されている東海・東南海・南海地震による
 津波からの被害を減らすため、平成10年度から平成23年度にかけて、
 湯浅広港に全長850m(広川側400mと湯浅側450m)、水深約10m
 前後の津波防波堤が整備されました。
  同じく、2つの水門と2つの陸閘門の遠隔化工事が完了したことによって、
 役場からの遠隔操作が可能となり、各水門・陸閘門及び役場の操作卓側には
 発電設備が設けられ、停電時にも対応可能となっています。
  その他、夜間の大地震発生に備えて「稲むらの火避難誘導灯」が14基、
 「蓄電池内蔵型避難誘導灯」が124基設置されています。
  避難誘導灯の方は、地面から2~3㎝のところに震度計が設置されており、
 震度5以上の地震が発生した場合、それを感知してまず「只今、大地震が
 発生しました。直ちに高台へ避難してください」というアナウンスと電子
 サイレンによる音声避難誘導を繰り返し5分間行い、その後フラッシュ
 ライトが50分点灯するそうです。
  ちなみに、太陽光と風力で発電・蓄電し、普段は街灯として使用されて
 います。
  蓄電池内蔵型避難誘導灯の方も、普段は街灯として使用され、停電時には
 誘導灯に内蔵された蓄電池により最大2時間明かりが点灯します。
  いずれの誘導灯も、被災者が避難所に向かう際の安全を確保するものとして、
 今後も順次沿岸地域に設置を進めていく予定とのことでした。
  これらと合わせ、毎年度津波浸水想定区域に居住の住民を対象に津波避難
 訓練も開催され、平成24年度の訓練では462名の参加があったとのことです。
  ただ、参加者数は昨年より増加したものの、新規の参加者をいかにして増加
 させていくかという点が継続的な課題だとおっしゃっていました。


・防災無線ネットワークについて
  スピーカータイプのものは町内に24基設置されており、条件にもより
 ますが500m程度は音声が届くようです。
  これに加え、平成21年度からは防災行政無線個別受信機購入事業も実施
 され、平成21年度には441戸分、平成22年度には300戸分、平成
 23年度には500戸分が設置され、平成24年度には100戸分が設置
 される予定になっています。
  1戸あたりの費用は4,2万円で、当初の141戸分は国の補助があった
 ものの、以降は全額町負担で、今後も要望があれば順次設置を検討していく
 とのことでした。


・津波防災教育センター「稲むらの火の館」見学
  本施設は、濱口梧陵記念館と津波防災教育センターという2つの施設で
 構成されており、平屋造りの記念館では、展示室で梧陵の生い立ちから晩年
 までをたどることができ、また、梧陵にまつわる貴重な史料や史跡マップ
 などを閲覧することができます。
  津波防災センターは3階建てになっており、1階では応急ゾーン、復旧
 ゾーン、予防ゾーン、津波シミュレーションに分かれた防災体験室があり、
 災害への備えを体感しながら学ぶことができます。
  また、奥には3D津波映像シアターがあり、ここでは津波防災に関する
 ものと濱口梧陵に関するものとの2本のDVDを鑑賞しました。
  昨年、東日本大震災の津波を目の当たりにしているということもあり、
 スクリーンに映し出される映像は単なる仮想現実の枠を超えた重みをもって
 見る者の認識に飛び込んできます。
  濱口梧陵が被災者救援・被災地復興に尽力するシーンでは、東北での現実が
 頭をよぎり、目頭が熱くなりました。
  2階は地震津波について学ぶ津波ライブラリー、広川の人々が津波防災の
 精神を継承してきた歴史をたどる継承の道と稲むらの火展示室で構成。
  3階にはイベントや研究発表・最新情報の掲示などの企画展示を開催する
 企画展示室と見学前にガイダンス映像を見るガイダンスルームがあり、ここ
 には災害時用の非常食糧などが備蓄されています。また、企画展示室・
 ガイダンスルームともに災害時の一時避難場所としての機能を有しています。
  そして、このガイダンスルームにて係員の方から濱口梧陵の功績をはじめ
 様々なお話をいただきました。
  それによりますと、梧陵の行なった堤防の築造には、1、津波防災、2、
 失業対策という2つの面で意義があったということです。
  津波防災の面においては、村人自身の力で堤防を造り、将来の安全を勝ち
 取ることが村人の自立につながり、失業対策の面では、当時として画期的な、
 労賃を日払いにしたことにより、働くことで報酬を得るという仕組みが継続
 され、生活の安定や生きる力の涵養につながった、と。
  この大事業には当初藩も許可を渋ったそうですが、「災害の記憶が生々しい
 今しかなく、財力を有する私しかできないという」、梧陵の強烈なまでの
 篤志家精神が藩を動かし、災害から4年余りでの完成にいたりました。
  そこには、ヤマサ醤油の7代目当主であるという自覚と、溢れんばかりの
 郷土愛があったと感じることができます。
  再現DVDでは、「このままでは村が滅んでしまう・・・」という台詞が
 ありました。
  その危機感、そしてそこからの獅子奮迅とも言える行動は、当時の住民に
 とって、まさに「生ける神」であったことと思います。
  また、梧陵はこの大事業以外にも、後の耐久社となる私塾を開設したり、
 種痘館再興に300両を寄附するなど、教育を重視した活動も行なっていた
 そうです。
  ハードとソフト両面を重視しての活動は、まさに現代の防災政策の要にも
 つながるものであり、この精神を着実に継承していかねばならないと、思いを
 新たにいたしました。
  

 以上が今回の視察についての報告です。
 新宮市、広川町ともに、災害に遭った現場を実際に見て、そこに住まう方々の
声を直に聞くことで、新しい発見をすることができ、報道されない細かな事を
知ることができました。
 新宮市、広川町の皆様を始め、ご協力いただきました関係各位の皆様に改めて
御礼を申し上げます。