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視察報告~豊島区編~(かなり長文)


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【豊島区の概要】

明治22年(1889年)5月1日、市町村制施行に伴い、
北豊島郡巣鴨町、巣鴨村、高田村、長崎村が発足。

大正7年(1918年)7月20日、巣鴨村が町制を施行し、
西巣鴨町となる。

大正9年(1920年)4月3日、高田村が町制を施行し、
高田町となる。

大正15年(1926年)10月1日、長崎村が町制を
施行し、長崎町となる。

昭和7年(1932年)10月1日、隣接する5郡82
町村とともに東京市に編入され、巣鴨町、西巣鴨町、
高田町、長崎町の区域をもって豊島区が発足する。
(なお、このとき新市域には豊島区のほか、向島区など
19区が誕生した。)

昭和18年(1943年)7月1日、東京都制施行に伴い、
東京都豊島区となる。

昭和22年(1947年)5月3日、地方自治法の施行に
伴い、特別地方公共団体(東京特別区)となる。

昭和40年(1965年)の国勢調査において、日本一の
人口密度の自治体となる。
※平成17年(2005年)の国勢調査において、同区に
 代わり中野区が日本一となる。

昭和48年(1973年)、区民募集の結果、区の木に
ソメイヨシノ、区の花にはツツジが選ばれる。
※ソメイヨシノは、江戸末期から明治にかけて、染井村
 (現在の駒込地区)の植木職人が自生種のオオシマ
 ザクラとエドヒガンを交配して作ったと言われている。
 また、ツツジは江戸中期に駒込染井がその産地として
 広く知られ、巣鴨の菊づくりとともに名を馳せた。

昭和57年(1982年)7月2日、23区で初めて
「非核平和都市宣言」を行う。

平成17年(2005年)9月22日、文化による活力
ある創造的なまちづくりを推進するため、「文化創造
都市宣言」を行う。

平成22年(2010年)3月、平成31年(2019年)
までの10年計画となる「豊島区文化政策推進プラン」策定。
※策定にあたり設置した「豊島区文化政策推進プラン策定
 委員会」は、全員が外部の人材で構成されていた。
 同プランでは文化政策の展開にあたり6つの目標を設け、
 同時に5つの地域別方向性を定めている。

・・・6つの目標・・・

 目標1 質の高い文化芸術創造環境の整備
 目標2 地域文化・伝統文化の継承と発展
 目標3 文化を支え、発展させる人材の育成
  ※今回の視察における説明からは、ここにかなりの
   力点が置かれているように感じた。
 目標4 まちづくり等との連携による文化政策の推進
 目標5 福祉と教育における文化活動の展開
 目標6 文化資源を活かした地域産業の活性化

・・・5つの地域とコンセプト・・・

 東部地域 JR山手線の沿線地域で、交通が便利な地域
        <江戸と下町、歴史文化と新たな文化が花咲くまちづくり>

 北部地域 池袋副都心の北に位置する地域で、JR、東部東上線の
        3駅が近接する鉄道の利便性が高い地域
        <住み続けるまちとして、ふれあいと池袋のふるさと文化が
         息づくまちづくり>

 中央地域 豊島区の中心部にあたり、核となる池袋駅は各鉄道会社が
        集中する一大ターミナル地域
        <文化創造都市としまを牽引する国際文化発信のまちづくり>

 南部地域 池袋副都心の南側に広がる雑司が谷と目白・高田を代表と
        する地域で歴史と文化、坂と緑に象徴される個性豊かな地域
        <歴史の記憶を大切にし、新しい文化を育むまちづくり>

 西部地域 山手通りの西側に広がる住宅地域で、多くの芸術家が住み、
        創作活動を行ったアトリエ村が形成され、池袋モンパルナスの
        独自の文化の花が開いた地域
        <池袋モンパルナス、トキワ荘を育んだ自由で親しみに
         満ちた生活文化のまちづくり>



人口:265,847人(平成22年8月1日現在)
   [男:124,350人/女:121,935人]
   外国人登録:19,562人

世帯数:145,428世帯(平成22年8月1日現在)

面積:13.01平方㎞


【本市の概要】(参考)

人口:83,655人(平成22年7月31日現在)

世帯数:36,826世帯(平成22年7月31日現在)

面積:14.88平方㎞



・・・調 査 事 項・・・ 

(1)「文化」を活用したまちづくりについて

・文化政策のあゆみ
 
 平成14年4月~    「躍動・感動・創造 ともに創ろう
               文化の風薫るまち としま」をテーマに、
      15年3月   様々な区制70周年記念事業を展開
               173事業に延べ274万人以上が参加   

 平成16年1月     文化政策懇話会から「豊島区の文化政策に
               関する提言」が出される

 平成16年12月8日  地域再生計画「文化芸術創造都市の形成」
               計画認定

 平成17年7月19日  地域再生計画「文化芸術創造都市の形成
               『としまアートキャンパス』」計画認定

 平成17年9月22日  文化創造都市宣言

 平成17年11月22日 地域再生計画「文化芸術創造都市の形成 
               『としまアートキャンバス』」計画追加認定

 平成18年3月29日  豊島区文化芸術振興条例を制定・公布
               (施行は4月1日から)

 平成18年3月31日  地域再生計画「文化芸術創造都市の形成 
               『としまアートキャンバス』」計画追加認定

 平成20年11月11日 地域再生計画「文化芸術創造都市の形成 
               『としまアートキャンバス』」計画追加認定

 平成21年1月30日  平成20年度 文化庁長官表彰[文化芸術
               創造都市部門]受賞


・図書館サミットについて

 平成20年11月12、13日の両日、「時代を変える 図書館
 サミット」の1日目が開催された。
 
 本サミットは、「図書館」をキーワードとして、読書離れ・活字離れの
 解消、文字・活字文化の発展、ITの高度利用、本をつくり送り出す
 人々との協働、地域の課題解決と文化創造のために、より広範な共感と
 連帯を生み出すことを目的として、様々な立場の人々が集い、何が
 できるのかを討議する、自治体初の試みである。

 初日は豊島区立舞台芸術交流センター「あうるすぽっと」にて開催され、
 301席の客席に対して390名の参加者があった。

 基調講演:国立国会図書館長の長尾真氏による「学問と情報」
 シンポジウム:印刷博物館長の樺山紘一氏、東京大学大学院情報学環
        教授の西垣通氏、東京大学先端科学技術センター教授の
        御厨貴氏、世田谷文学館長の菅野昭正氏、作家の澤地
        久枝氏らによる、「図書館は新しい時代をつくれるか」

 翌13日には自由学園明月館にて2日目が開催。

 午前中には3つの分科会が開催され、「図書館の新しい役割」、「本を
 つくり送り出す人々と図書館」、「図書館と地域社会とのつながり」
 について、図書館、出版社、作家など、活字に関るパネリストたちが
 意見を出し合った。

 午後には、印刷博物館長の樺山紘一氏の進行のもと、マニフェスト
 発表に向け、分科会での議論の成果をふまえた全体討議が行われ、
 また、作家で日本ペンクラブ会長の阿刀田高氏により、「図書館
 サミットに臨んで」と題する講演も開かれている。

 最後に、サミット実行委員会委員長で豊島区図書館行政政策顧問の
 粕谷一希氏から文化創造都市宣言に対する思いが語られ、図書館
 サミットは閉幕した。

 2日間に渡るサミットの成果である「マニフェスト」及びサミットの
 報告書は、全国の公立図書館などに後日送付されるとのことである。
 


(2)文化財の保存と活用について

・古代~中世に関しては、昨日訪問の海老名市を始め他の自治体でも
 行われているような、法に基づいた保護・保存や公開講座などの
 事業を展開している。

・「豊島区史跡めぐり」という名称の豊島区文化財マップを、教育
 委員会が発行している。
 ウォーキングコースとして「駒込」、「巣鴨」、「大塚・上池袋」、
 「池袋」、「高田・雑司が谷」、「池袋モンパルナス」、「要町・
 長崎」、「千川」の各コースが紹介されているが、寺院などとともに
 大正大学やサンシャインシティなども組み入れられており、また、 
 「池袋モンパルナス」では、アトリエ村跡が多く組み入れられる
 など、近現代の施設も活用されている。


(3)文化財指定の方法について

・基本的に海老名市と同様


以上です。

海老名市、豊島区ともに担当の方は、「財政状況が厳しく、
補助金のカットなどをお願いしている中、文化行政に予算を
割くことについて市民・区民の方々にご理解をいただくのが
とても難しいということでした。

私は大学時代に日本古代史を専攻していたので「歴史」と
名のつくものは大好きなのですが、みんながみんなそういう
嗜好なわけではありませんもんね。

でも、文化を理解するということは、その地域や人々が
歩んできた歴史を理解するということにもつながります。

今後、様々な地域や人々との交流はますます盛んになって
いくでしょう。

文化行政の推進がその一助となるよう、満遍なく受け入れ
られる政策の展開を図っていかねば。